彼の隣で乾杯を
気持ちが乗らないときに無理して残業しても仕方ない。幸い、急ぎの仕事もないから、早々に帰宅することにした。

以前ならこんな日は早希や高橋を誘って食事に出かけたのに。
私の大切な二人はどちらもここにいない。心にぽっかりと穴が開いたようだ。

以前の私なら仕事に打ち込んでいてさえいれば友と3週間会えずにいても連絡さえとれていれば気にならなかったというのに。


エントランスを出ようとした時だった。

「佐本さん」

かけられた声に振り向けば、そこには信楽焼のタヌキが立っていた。
あ、いや信楽焼じゃなくてタヌキでもなくて神田部長だった。

ホントにゆったりした体型にかわいらしいお顔だこと。

「お疲れさまです」

「お疲れさま。佐本さんにしては珍しく帰りが早いんだね。普段からこの時間に帰宅していいんだよ。いつも働き過ぎだから、本当にホドホドにがんばるくらいにしなさい。
サボる、逃げる、隠れることも覚えないと」

サボる、逃げる、隠れる???
えーっと?その発言、ここでして大丈夫でしょうか?

タヌキの飼育係だった以前の早希が聞いたらキレてたな。

「神田部長、先月の休暇の件、ありがとうございました」
聞こえなかったふりをして話を変えた。

「佐本さんは当然の権利を行使したまでのこと。そうそう、会長もあのワインがあんなに手に入るとは思ってなかったから、大層喜んでましたよ」

「そうですか。それは本当に良かったです」

「それに更に新しい契約までとってくるとは、流石です」

「いえ、それは偶然です。それに高橋君がいなかったらあれはそんな話にもなっていなかったはずですし」

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