彼の隣で乾杯を
・・・そうなのだ。
先週のイタリア出張は、あのホテルで部屋をスイートルームと交換した人達から商談をもちかけられたことに起因するものだった。

後日、あの時の女性とそのご主人にいたく感謝され何度か連絡を取り合ううちに今回の新規ビジネスに発展したというわけだ。

イタリア人男性は女性に優しく気軽にナンパする印象だけど、実は自分の妻や恋人に対しては嫉妬深いという一面を持っている。

あの時も、女性の方が必死になって別の部屋を探して欲しいとフロントスタッフに掛け合っていた。
何もなくても夫ではない男性と同じ部屋に泊まったなんてことになれば夫婦の絆にヒビが入ると心配していたのだろう。

とまぁ、今回の新規契約はかなりラッキーだったのだけど。
それが非常に忙しく微妙に自分の首を絞めている。

「佐本さん」
タヌキが真面目な顔をしている。

「はい」
「ここでの仕事は好きですか?」

「え?」
「このアクロスでの仕事です」

どういう意味だろう。タヌキの問い掛けに裏にある真理をはかりあぐねて即答できずにいると
「人事査定じゃありませんからね」
タヌキがまん丸の目を三日月にして笑っていた。

「結果がついてくればやりがいを感じますし、報酬もいただいています。忙しすぎるという点を除けば職場としてある程度満足していますし、愛社精神もありますが?」

「人生においては優等生が正解というわけじゃあありません。仕事が全てでも恋愛が全てでもないですけど、自分の気持ちに素直になって生きることも大切なことだと思います」

何が言いたいんだろう、部長は。

「神田部長から見て私は素直でないように見えるのでしょうか」

「そういうことではありません。ただ無理をしているようには見えますね。佐本さんが求める先に何があるのかボクはとても興味があります」
部長は目を細めて笑ったように見える。
ぷくぷくほっぺがちょっと持ち上がった。

「ああ、長くひき止めてしまいました。申し訳ありません。これからのご活躍も期待していますよー」

私の返事も待たずに神田部長は体型に似合わず、さーっと移動してエレベーターに乗って行ってしまった。

今のいったい何だろう。
タヌキ部長、本当に底が知れない人物だ。
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