彼の隣で乾杯を
同じフロア内にある部長室に向かいながら小林主任のデスクをちらっと見ると、主任はデスクにはいなかった。
まだ荷物はあるから帰宅したのではないらしい。

小さくため息をついた。

私は3年も前に失ったはずの恋の亡霊にまだ苦しんでいる。
新しい恋をすればそれを忘れられるかと思ったけれど、そうではないらしい。
いや主任に対する恋心自体はもうとうに忘れた。
でも、罪の意識だけは消えてくれないのだ。どうしても。


小林主任は既婚者だった。

小林主任に奥さんがいることなど同僚の誰も知らなかったと思う。
上司は知っていたのだろうけど、そんな話が出たことはなかった。

知らなかったとはいえ、彼と一線を越えそうになった時、指輪の存在に気が付いたのだ。
主任はマリッジリングを指にはめていなかった。

ベッドの上で半裸の私が見たのはワイシャツを脱ぎ捨てた素肌の主任の胸に輝くネックレスに通したマリッジリング。

私は気が付かないうちに不倫をしようとしていたのだ。
衝撃だった。

それから私は両手で主任の大きな胸を押し返していた。

「妻とは別居している」

私の記憶にあるのは主任が言ったその一言だけ。
半狂乱になりながら衣類を身に着けてホテルの部屋を飛び出した。
その時、主任が他に何を言ったのか、自分が何を言ったのか何も覚えていない。

< 32 / 230 >

この作品をシェア

pagetop