彼の隣で乾杯を
「ここはローマとはずいぶん気候が違うのね」

「同じイタリアといってもスイスが近いからな。夕方は冷えてくるから早目にホテルに戻るぞ」

「はーい」

爽やかな風が吹いて木々や足元の野草が揺れる。
背後の白金の山も美しい。

東京生まれ東京育ちの私には懐かしむ田舎の景色はない。だから、自然に囲まれると珍しくてキョロキョロとあちこち見たくなる。

「危なっ」「きゃあっ」
ふたり同時に声を上げた。


ずるっと私のローヒールパンプスのかかとが泥で滑ったのだ。
隣にいた高橋が瞬時に私の腕をつかんでくれた。

「焦った。ありがとう」
心臓がドキドキする。あのまま滑って転んでいたらスカートが泥まみれになるところだった。

「俺がつかんだからよかったけど、転ぶとこだったぞ。キョロキョロふらふらしてるから」

「うー、ごめん。景色に見とれちゃって」

本当に危なかった。出張に持って来たのはハイヒールとローヒールのパンプスでスニーカーなど持ってきてはいないから。
まさか、休暇がもらえるとは思ってなかったし。

「はぁー。危ないからもうこのままつかまって歩け。俺の心臓に悪い」
高橋はつかんだ私の腕を自分の腕にからませた。

ええっ、腕を組んで歩くってこと?
目をぱちぱちさせて高橋の顔を見る。

「何、腕を組むより手を繋ぐ方がいいのか?」

え、どうしよう。
どっちも嬉しいけど、どっちも恥ずかしい。
でも、高橋にくっつくチャンスだし。

「このまま腕でいい。また滑ったら助けてね」
にっこり笑顔で甘えることにした。

「次、転けそうになったら背負って帰るからな」

ええー、おんぶですか。
「確かに元ラグビー部の高橋じゃあ楽勝だよね」

ニヤリと笑うと「転ける前に背負ってもいいぞ」と抱きかかえようとするから「転けてからでいい」と慎んでお断りした。
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