ストロベリームーン


 小春はこの店を見つける前までは家でネコ祭りコーヒーを作っていたと言っていた。

 この男は小春の家に侵入したことがあるのだ。

 そのふとどき者の男がしゃべった。

「小春、今度の旅行だけどさ、ちょっと高いけどやっぱ露天風呂付き個室にしようよ」

 カウンターの中から孝哉が世那を呼ぶ。

 カウンターに湯気を立てたコーヒーカップが置かれている。

 たったそこまでの距離が遠い。

 コーヒーをトレイに乗せる。

 1杯のコーヒーがやたらと重い。

 小春はレズビアンなんかじゃない。

 普通の女の人だ。

 馬鹿だ。

 自分は大馬鹿だ。

 勝手に1人で妄想して。

 ああ穴があったら入りたい。

 つか家に帰りたい。

 もう嫌だ。

 今日限りでここのバイト辞めたい。

 いや今すぐにでも辞めたい。

 孝哉に具合が悪いって言って上がらせてもらおうか。

 世那は腰巻エプロンの紐をゆるめる。

 とりあえず、トイレ。

 蓋の閉まった便座に座ると一気に体の重みが増した。

 このまま動けなくなりそうだ。

 でも考えてみたら当然とことだ。

 女が好きな女なんてそんなにいるもんか。

 ネットでは10人に1人とか書いていたけど当てになるもんか。

 ネットなんて嘘だらけだ。

 それに良かったじゃないか。

 もし小春がレズビアンだったりしたら危うく自分は未知の世界に足を踏み入れるところだった。

 ゲイや性別の分かりにくいタレントがもてはやされるような時代ではあるが、その特権を得たのは男の方だけだ。

 レズビアンはまだまだマイノリティだ。

 その証拠にゲイを売りにするタレントは大勢いるがレズビアンを売りにするタレントはいない。

 別に他人から見て幸せに見える人生を歩むのが目標ではないが、わざわざ茨の道を行く必要もない。

 そう思うとなんだか体が軽くなってきた。

 自分には明るい未来が待っている。

 便座からすっくと立ち上がる。

 深呼吸をして扉を開けた。

 目の前に小春が立っていた。



< 30 / 153 >

この作品をシェア

pagetop