ストロベリームーン
小春にとってはただの撮影に過ぎないのだろうか。
半裸に近い格好で玄関を開けにいった小春に弟も動じる様子もなく、ずかずかと部屋に上がり込んできた。
間一髪で服を身につけた世那を見つけた弟は「あれ、来客中?」と小春と振り返り、「じゃ俺、帰るわ」と玄関に戻ろうとする。
その弟を押しのけて世那は小春の家を飛び出した。
急用を思い出したから帰るなどと、絶対嘘だとバレるような言い訳を残して。
小春はどう思っただろうか。
世那は自分で自分を抱きしめた。
もし弟が来なかったら、小春の唇は世那の唇を捕まえただろうか。
そしてその先は?
そこから先はまた妄想になる。
あんなことやらこんなことやら。
最後に小春の唇がこう囁く。
「世那が好き」
ではなく、「いい写真撮れたよね」って爽やかに笑われたらどうする。
どちらにせよ、世那は思った。
戻るなら今しかない、元の自分に、男が好きだった自分に。
これ以上現実を先に進めてはいけない。
女同士なんて二次元の世界と妄想だけで十分だ。
ゲイパレードで街を闊歩しながらレインボーフラッグなんかを振り回し、『女の子が好きでもちゃんと幸せ』なんて叫ぶ自分は想像できない。
自分は大学を卒業したら就職し、それなりの男を見つけて結婚し、子どもは1人で十分で——別にいなくてもいいが——、ある程度のやりがいのある仕事と家庭を両立しながらそこそこに趣味なんかも持ち、離婚しなければ老後は旦那と——いや2人目の旦那でも構わない——一緒に世界一周とかをするような人生を送るのだ。
今どきばりばりのコンサバな生き方は性に合わないが、日本の社会を変えようと燃えるアクティビストとして生きるつもりは毛頭ない。
人生は感情に従って生きるのではなく理性に従って生きるものなのだ。
少なくとも自分は。