ストロベリームーン
孝哉はタバコを灰皿に押し付け、流しで手を洗う。
仕事柄もあるのだろうが、孝哉は日に何十回も手を洗う。
潔癖症なのかもしれないが、の割には洗った手を服で拭いたりする。
今も横に置いてある台拭きで手を拭いた。
「世那ちゃんって隼人のことそんなに好きじゃないでしょ」
ゴン。
カウンターに置いたコーヒーカップが大きな音を立てる。
「そんなことないですよ」
「じゃあ好き?」
「嫌いじゃないです」
「嫌いじゃないかぁ。それって好きじゃないと同じことだよ」
世那は黙ってしまう。
孝哉は笑いの含んだため息をついた。
「璃々子さんと世那ちゃんは2人を足して2で割るとちょうどいいねぇ」
「璃々子さんとわたしを?どういう意味ですか?」
璃々子と自分が同じレベルに置かれたようでとてつもなく不服を感じる。
「璃々子さんは自分の気持ちに支配されすぎて客観的に物事を見られない。世那ちゃんは自分の感情を無視しすぎて真実を見逃す。どちらも現実とちゃんと向き合っていない」
孝哉のコーヒーカップを持つ手に指輪が光る。
「孝哉さんだって現実に向き合っていないじゃないですか、その指輪の人」
は、もう死んでいるのに。
いつまでも過去の恋愛に支配されて。
「僕の場合はこの人を忘れることは逆に現実から逃避することになるんだよ。僕は一生後悔しなければいけないんだ。それがこの人のためにできる僕の唯一の償いなんだ」
孝哉は胸の前で指輪を外す真似をする。
「それにこれもう外れないんだよね。ここ数年で太っちゃってさ」
よく見ると指輪をした指だけ他に比べて血色が悪い。
孝哉は新しいタバコに火をつけ深呼吸する。
吐き出された煙が曲線を描いて世那の鼻先まで流れてくる。
ツンととんがった煙の匂いがした。