ストロベリームーン
その日のバイトの終わり、自分の家に来ないかとしつこく誘ってくる隼人に今日は生理だからと嘘をつく。
とてもそんな気分じゃなかった。
自分からこうなることを望んだのに、今晩だけは隼人に触れられたくなかった。
その夜、世那は初めて小春のことを考えながら自分の体に触れた。
今まで何度も妄想はしたことはあったが、実際に手を動かしたことはなかった。
隼人の逞しい指とは違う、自分の頼りなさげな指は、小春が自分に触れた時のことを思い出させた。
絶頂に達する瞬間、涙が伝った。
小春の指先は温かかったのに、どうして自分の指はこんなに冷たいのだろう。
声を殺して泣いた。
泣く理由は考えないようにした。
次の朝、昨日の雨が嘘のように止んでいた。
朝日がじりじりとうなじに照りつける中、世那はシャッターの降りたアサイラムコーヒーの前にいた。
電話をかけると掠れた声の孝哉が出た。
『ごめん、今日はクローズにするよ』
大の大人の男が2日間も仕事を休むなんてただ事じゃないと思った世那は自分に何かできることはあるかと訊ねると、孝哉は申し訳なさそうに、「じゃあ解熱剤だけ」と答えた。
世那はコンビニで薬とスポーツ飲料水やレトルトのおかゆなど自分が風邪をひいた時のことを思い出し、必要そうなものを片っ端から買い物かごに入れた。
孝哉の家は店から歩いて5分としなかった。
勝手に経営者は皆タワーマンションのようなところに住んでいるものだと思っていたが、孝哉の住むマンションは世那のマンションとさほど変わらなかった。
アサイラムコーヒーはオープンしてから3年だと言うが、それまで孝哉が何をしていたのか知らない。
孝哉は世那の履歴書を見ているが、世那は孝哉の履歴書を知らない。
インターホンを鳴らすとしばらくして孝哉が扉を開けた。
たった1日会わなかっただけで、驚くほど孝哉はやつれていた。