ストロベリームーン
そのまま走った。
追いかけてくるはずもない孝哉の部屋から逃げるように走った。
気づくと知らない場所にいた。
いつも駅と店を往復するだけであまりこの辺りのことは知らない。
今日だって孝哉のところへ行くのにグーグルマップを使ったぐらいだ。
目の前に小さな公園があった。
『つるかめ公園』渋い名前だ。
遊具の類は一切なく、小さな藤棚があってその下にベンチが1つ、そして離れたところにもう1つ。
水飲み場があり、誰かが野良猫に餌をあげているのだろう、汚れた発泡トレイが転がっている。
藤棚の下に腰掛けると、どこからともなく薄汚れた白猫がやってきて世那の目の前に座った。
バイト辞めよっかな。
猫の後ろに『猫に餌をあげないでください』と書いた看板がある。
「辞めちゃおっかな」
口に出して言ってみた。
「いや、でもなぁ」
最初は嫌だったらすぐに辞めて他を探せばいいと思っていたが、すでにアサイラムコーヒーは世那にとって居心地が良い場所になっていた。
孝哉は悪い人ではない、それどころかどちらかと言えばいい人だ。
人にはいろんな過去があるし、人の知らない一面があってもおかしくない。
そんなのを気にしていたら誰とも付き合えない。
まして今回は世那が勝手に孝哉の心の扉を開けて盗み見たようなものだ。
それでバイトを辞めるなんて、あまりにも子どもじゃないか。
「よし、今回のことは見なかったことにする、忘れることにするよ」
世那は目の前の猫に誓う。
1人ブツブツ言っている世那を通りすがりのおばさんがじろじろと見ている。
「猫に餌あげないでくれない?糞害がすごいのよ」
そう言って行ってしまった。
濡れ衣を着せられた世那はおばさんの背中にあっかんべぇをした。