ストロベリームーン
例えば蓮が音楽について語る時、その言葉以上の、または時としてその言葉とは反対の感情の渦が璃々子の胸に沸き起こることがしばしばあった。
相手の気持ちが手に取るように分かるという事はこういう事なのかと思った。
蓮の後ろにオーラのような白いものも見たこともある。
だからどうしても蓮が嘘をついているとは思えなかったのだ。
皆は璃々子が真実を見ていないと思っているだろう。
でも蓮の場合、皆の言う眼で蓮を見ると蓮を見誤ってしまうと璃々子は思った。
目を閉じて蓮を感じることが本当の蓮を見極めることだった。
それでも璃々子の中にもある常識が璃々子を不安にさせることは幾度もあった。
璃々子の信じるものが目に見えないものだけに、鎧をまとい完全武装した一般論は璃々子を激しく攻撃した。
50万がなくなった時、世那から蓮が若い女と一緒にいる写真を見せられた時、璃々子は押しつぶされそうになった。
それでも蓮は嘘をついていない。
そう信じた。
信じたかった。
自分の感覚を信じることは形のない見えない神にすがるのと同じだった。
信仰にも近かった。
信仰は人を強くもさせるが、時として手放してしまった方が楽な時もある。
50万がなくなった時から、蓮を信じるよりも疑った方が楽であることに璃々子は気づいていたが、璃々子にはどうしても譲れないものがあった。
蓮を疑うことイコール璃々子の感覚を疑うことになる。
直感とも言える蓮から感じたあの璃々子の感覚は絶対に偽りではないはずだ。
直感は嘘をつかない。
嘘や偽りを生むのはいつでも思考だ。
直感はそんなものが入り込む余地がない程のスピードですとんと璃々子に落ちてくる。
その璃々子の直感が間違っているとは思えなかった。
もしそれを疑うとしたら、これから先璃々子は何を信じて生きて行けばいいと言うのだ。