卒業
…………えっ
「 瀬野尾、そこどいてくれる?」
朝倉くんのイラっとした声。さっきまでの楽しくて優しい声じゃない。
『あー、朝倉は中に戻ればー。俺さぁ、鈴村に用事があるんだよねー』
瀬野尾くんの声も少し苛立っている。
すると朝倉くんは私の手を引いた。
そして、朝倉くんが瀬野尾くんを押し退け、無理矢理、店の中へ入ろうとした。
その時………
瀬野尾くんが私の右手を掴んだ。
「痛いっ……」
あまりにもキツく掴まれた右手に、私はつい声を上げてしまった。
『なんで俺のこと避けてる……』
瀬野尾くんは苛立ちを押し殺したような、切ない声で私に向かって言った。
私は恐る恐る瀬野尾くんを見た。
瀬野尾くんの顔は悲しみで覆われている。そんな悲しげな表情を見たとたん、また息が出来ないほど苦しくなった。
「おい瀬野尾、お前、手はなせよ。痛いっていってるだろ。」
瀬野尾くんは朝倉くんの言葉を無視する。
『何かあったの? ちゃんと話してよ……』
瀬野尾くんが狂おしいほどの眼差しで、私に問いかける。
どうして、どうしてそんな目をするの……
でも私は言わなくてはいけない。
今、言わないと二度と言えなくなる、そんな気がした。
そう思うのと同時に私は口を開いていた。
「瀬野尾くん、黙っててごめんね。実はわたし結婚前提でお付き合いしている人がいるの。」
………………。
「彼がいるのに、瀬野尾くんと二人で会ったりするのは彼に申し訳なくて。」
「…………だからもう会えない。ごめんね。いままでありがとう…………」
気がついたら、一気にまくし立てるように、私は精一杯の嘘をついていた……。
ふわっと瀬野尾くんの手が離れた……。
瀬野尾くんは固まったまま動かなかった。
どうして、どうして何もいってくれないの。 おめでとう、でも、幸せになれよでも、なんでもいいから言ってよ!
しかし、瀬野尾くんの言葉を聞くことなく、私は朝倉くんにお店の中へと連れていかれた 。
扉が閉まる瞬間、私は、月あかりに照らされた美しくも儚い、悲しげな目をした瀬野尾くんを見た。
その顔は私の知らない瀬野尾くんだった……