茜色の約束
駅のホームにある小さなベンチに二人で腰掛けた。
そのベンチはいつも志保が僕を待っているときに座っているベンチだった。
静かな時間が過ぎる。
時折、冬の風が僕らの間を通り抜ける。
その風を一人で受けると肌が痛くなるのだが、志保と共にいるときはそう感じなかった。
「はっくしょん!」
隣で志保がくしゃみをした。文字でそのまま書いたような素直なくしゃみ。
恥ずかしそうに頬を赤らめ、口と鼻を手で懸命に抑えている志保は、なんだか可愛らしく見えた。
「寒い?」
僕は志保に訊いた。
志保は大きくかぶりを振る。
「寒くないわ」
そう言った志保だったけれど、直後にずるると洟を啜った。
そうしながらも「これは寒いんじゃないの」と、小さく呟く。
僕はなんとなく分かっていた。
志保はこの間、僕の隣は寒くないと言った。
そして今も、寒くないと言う。
僕も、冷たい風を痛いと感じない。
しかし、それは気温という外的なことではなく、心という内的なことなのだと分かった。
いくら寒くないと思っていても、体は正直なのだ。
お腹が空いていないと思いつつも腹が鳴ってしまう、それと同じ原理だ。
僕は立ち上がり、小さな駅舎内に足を運ぶ。
唯一、一台ある古い自動販売機に目をやる。
何か温かい飲み物を買おうと思ったのだ。左から順々に見ていき、僕はあるところで目が止まった。
缶の飲み物を二つ買い、志保がいるベンチへ向かう。
志保は目を丸くさせながら、僕を見ていた。
僕がその飲み物を一つ志保に渡すと、「いいの?」と、さらに目を大きくさせた。「どうぞ」と僕は志保に笑みを向ける。
志保は、その飲み物を両手で包んだ。
目を細めながら、「あったかい」と小さい声を漏らす。
そして、包んだ手をそっと離し、その飲み物を見て、再び目を丸くさせた。
「これ・・」
志保が勢いよく僕を見たので、僕はゆっくりと頷いた。
僕が買った飲み物はミルクティーだった。
どこの会社のミルクティーなのかはよく分からない。
けれど、それでも、僕と志保が握っているミルクティーは同じものだった。
「お揃いだ」
僕は、僕が持っていたもう一つのミルクティーを志保に見せながら言った。
志保は、最初は目を真ん丸にさせていたが、やがて目を細めた。ふふっと微笑む。
「実って、勇気があるのかないのか分からないわ」
志保のその言葉に僕は「え?」と訊き返した。
すると、志保は「だって」と言って、言葉を続けた。
「実って、時々、凄いことを口走ったりするじゃない?不意打ちのように胸がどきっとなるような言葉を。でも、この言葉を言って欲しいと思うときは、理解できていなかったり、思っても言わないような素振りをするときがあるの」
僕は頭の回路をゆっくりと辿り、自分の言動や行動を思い出していた。
たしかに志保の言うとおりだ。
志保に「綺麗」や「美しい」と口走ったことがあった。
けれど、口走る前に、志保に言いたいと思った言葉は、決してスムーズに言えなかった。思っただけで伝えなかったことだってある。
志保はそんな僕を見透かしていた。
志保はミルクティーを真っ直ぐに見つめながら、「でも」と呟いた。
「これは嬉しいわ。ありがとう」
志保のまっすぐな眼差しが、ミルクティーからゆっくりと僕に向けられた。
「どういたしまして」
僕が短く返事をすると、ぷしゅっと缶が開く音がした。
目を瞑り、ミルクティーを口の中に流し込む志保。長い睫毛と、飲み込む際に聞こえるゴクンという音が目立つ。そして、「美味しい」と言って、僕へ微笑みを浮かべた。
僕は僕のミルクティーを隣に置き、カメラを手にとった。
カシャッ