茜色の約束
『鳴龍軒』の豚骨ラーメンはやはり格別だった。
「美味しい」という素直な表現しか思いつかない。
志保はスープを飲むと、目を丸くさせながら、「美味しい!」と漏らした。
麺を啜っても「本当に美味しいわ」と言う。
僕も「相変わらず美味しい」と言うと、重明は満足そうに笑っていた。
食べ終わり、一息吐いているとき、志保は重明を見て言った。
「このラーメン屋さんは、重明くんが継ぐの?」
唐突の質問に僕は驚いた。重明も驚いたのか、目を大きく開き、それからゆっくりと瞬きをした。
数秒立ち、重明は口角を上げた。
「うん。継ぐよ」
予想通りの答えだった。重明が料理部に入り、普段から料理に勤しんでいるのは、継ぐためだと僕は確信していた。だから、重明の返答に驚くことはなかった。
「そっか・・」
そう、志保が言うと、重明は「でも」と小さい声で呟いた。
「俺には夢がある」
重明は下を向きながら、小さい声で囁いた。僕と志保は一斉に重明を見た。
「この店を、ラーメン屋ではなく、色んなメニューがあって、色んな年代の人や色んな事情を抱えた人が何気なく足を運べるレストランにしたい」
僕は耳を疑った。
ラーメン屋ではなく、レストラン・・?
重明の言葉を繰り返す。それは、つまり、ラーメン屋を継ぐという意味ではないのではないだろうか・・。
「この店な、親父が二十七のとき、祖父から譲り受けたらしいんだ。祖父の時代の時は時計屋だったらしい。で、親父が譲り受けて、親父、そのときラーメンを作りたくてたまらなかったから、時計屋からラーメン屋に改造した。親父は夢を見事に叶えた。だから、親父も俺のしたいことを応援するって言ってくれた。そのためなら、このラーメン屋をお前にやる、とまで言ってくれた」
重明は話しながら、厨房の方を眺めた。僕も厨房を見る。行ったり来たりと、動き回る重明のお父さんの姿がそこにはあった。
「でも、親父のこのラーメンの味を失うことは絶対にしたくない」
重明は真っ直ぐ、厨房を見つめ、そしてゆっくりとその視線を僕と志保に向けた。
「だから、俺はこの味を次ぐ。レストランのメニューの中にラーメンを取り入れる。親父が人生を懸けて生み出した、最高のラーメンを!」
重明の瞳はキラキラと輝いていた。
崇高な夢を抱き、一歩ずつ歩いている重明。彼の足元には、その夢の道が完全に存在しているように感じた。分かれ道などない、真っ直ぐな一本道。
僕は完全に圧倒されていた。敵わないと、ただ純粋にそう感じた。
幼い頃から、僕は何だって、重明には敵わなかった。
日向で生きる重明に比べ、僕は日陰で生きていた。
高校生になって、ようやく重明と仲良くなれたが、心のどこかでその思いは消えることなく、残っていた。僕と重明の生きる世界は違う、と。
僕は、視線をゆっくりと志保へ移した。
そういえば、僕は志保に対しても、重明に対するのと同じ思いを抱いていた。生きる世界が違い、見える景色が違うのだと。
僕はいったいどこで生きて、どこに向かっているのだろう。ふと、そう思った。
分かれ道のたくさんある道なのだろうか。高く壁がある道。もしかしたら、道がぽっきりと割れ、崖がある道なのかもしれない。
僕のこれからは、果たして存在するのだろうか・・。
「すごい・・」
志保そう言いながら、重明を見ていた。「すごい」という感嘆の言葉を繰り返す。
「私はまだはっきりとした夢がないから、重明くんがすごいと思うわ」
重明は顔を火照らせ、「そんなことないっすよ」と呟き、後頭部を掻いていた。そして、僕の存在を思い出したのか、僕を見て、「実は?」と言った。
「僕もまだ」
小さくそう言うと、重明は「そっか」とだけ返事をした。