茜色の約束

小さな約束


 僕は電車から降り立つと、周囲を見渡した。志保がいないかを探すためだ。

「こんにちは」

 僕の探す人はホームの端に佇んでいた。

 僕を見て、笑みを浮かべる。つられて僕も笑った。

「写真出来上がったよ」
「え?ほんと?」
 僕のその言葉を聞き、僕の近くに寄ってくる志保。

 今日はなんだか違った。僕は志保の体をまじまじと見た。
 相変わらず細い体だ。僕も十分細いと思うが、僕よりもっと細い。押したら、軽く骨が折れてしまうのではないかと不安になるほど、華奢な体つきをしている。

 僕の視線に気付いた志保はふふっと笑った。

「制服、ようやく出来たの」
「あ、だから、なんだか違ったんだ」
「え?気付いていたから、私の体を見ていたんじゃないの?」
「いつもと違うなあとは思っていたけど、制服の変化までは気付かなかった」
 僕がそう言うと「はあ?」と、志保は呆れた顔をした。
 
 たしかに、この間までの志保はセーラー服だったが、今日は白いワイシャツに白いベスト、チェックのスカートだった。言われてみれば、全然違う。
 腰に手を当てたことによって、志保のくびれている場所がはっきりとわかった。

「それより、早く写真見せて」
 志保の顔に再び笑顔が戻った。
 僕は鞄を開け、数枚の写真が入ったファイルを取り出す。そうして、ファイルの中に入った写真を出した。
 右手に空のファイルを持ち、左手に数枚の写真を持つ。それから、その左手を志保に差し出した。

 志保は写真を受け取ると、僕の写真を一枚一枚ゆっくりと見ていた。

 僕はあまり、人に写真を見せたことがない。写真を撮るというのは、ただ趣味で終わっていた。だからこそ、他人に見せることもなかったし、まして見せてと言われることもなかった。

 僕は今、志保がどんな感想を言うか、とても緊張していた。

 僕が綺麗だと思った一瞬を、彼女も共有してくれるだろうか。

 ふいに僕の視線の先に彼女の旋毛があった。
 志保は僕の写真を夢中になって見ているので、僕が彼女の旋毛を見ていることに気がついていない。旋毛の整い方など、僕にはわからないのだが、志保の旋毛はなんだか可愛かった。よくよく見ると、旋毛の中心に黒子があった。僕はその黒子にそっと触りたくなった。

「素敵・・・」

 志保の小さな声が聞こえた。黒子を触るために少し動いていた手を慌てて元の場所に戻す。
「私、とても素敵だと思う」
 そう言って顔を上げた志保と、ばっちり目が合ってしまった。
 志保の旋毛があった場所と、今の彼女の両目の場所が同じだったからだ。
 
 ぼくは慌てて視線を逸らした。
 志保はぼくが視線を外したことなど気づいていないような素振りで、言葉を続けた。
「この雲の感じ、とても幻想的ね。空はきっと青色の空と赤色の空の間。形容し難い色の空が浮かんでいたに違いないわ」
 一枚の写真を隅から隅まで、時間をかけてきちんと見ている。真剣な志保の眼差しは輝いて見えた。
「これも、これもいいわね」
 そう言いながら、一枚一枚めくっていく。
 そうして、ようやく最後の一枚にたどり着いた。
「これ・・」
 志保は僕を見て、その写真を僕に向ける。
「あのときの写真ね」
 
 そう、あのときの写真。写っているのは、もちろん志保だ。
 
 僕は頷いた。
 
 志保は再び、視線を写真に戻した。隅から隅まで、眺めている。
「綺麗ね。私ではないみたい」
 志保は呟いた。
 
 君は綺麗だよ、そう言ってしまいたい衝動を必死に抑えた。

 「私、茜色に染まっていたのね」

 志保は目を瞑っていた。
 
 僕は思い出していた。茜色に染まる志保の姿を。
「そうだよ。志保は茜色に包まれていたんだ」
 志保は優しく微笑んだ。


「志保にこの写真をあげたい。勝手に撮ってしまったお詫びだ」
 しばらくして、僕は、志保に志保が写っている写真を渡した。
 
 志保はかぶりを振った。
「受け取れないわ」
「やっぱりお金しか受け取れない?」
 僕の言葉に、志保は再びかぶりを振る。
「そうじゃないわ。この写真は、あなたに持っていて欲しいの」
「僕?」
「ええ、そうよ。代わりと言ったら失礼だけど、こっちの写真をちょうだい」

 志保はそう言うと、志保が写っているのとは違う写真を手にとった。
 それは、志保が青色の空と赤色の空の間の色だと表現した空の写真だった。

「志保がそれでいいなら・・」
「私ね、実には別のお詫びをしてもらうことを思いついたの」
「別のお詫び?」
 志保は「そうよ」と言うと、僕に背を向けた。
 それから、顔だけこちらを向く。

 向けられた志保の顔は、茜色に染まっている。
 今、この瞬間も、再び茜色が僕たちを包んでいたのだ。

「いつか、実が写真展を開いたら、私のこの写真を飾って」

「僕が写真展?」
 志保はゆっくりと頷いた。

「楽しみにしているわ」

 そう呟き、志保は歩き出した。




―-―それが僕と彼女の、小さな約束だった。





< 6 / 22 >

この作品をシェア

pagetop