伯爵令妹の恋は憂鬱
「……クマ?」
「ぬいぐるみですよ。私が通された部屋は、どうやら昔子供部屋として使っていたようで、子供向けのものがわんさか置いてありました」
少しばかり埃くさいそれは、きっと昔からあるものなのだろう。トマスは客とはいえ、立場は使用人だから、物置にしているような場所をあてがわれたのかもしれない。
だとすればこれは、幼少期にフリードがきた時のために用意されたものだったのだろう。
「ふわふわです。かわいい」
体勢を立て直したマルティナはクマのぬいぐるみを抱きなおす。
マルティナのお腹から顎までの背丈のぬいぐるみで、両手で抱きしめるとおさまりがいい。
「私の部屋にあってもなんなので、よかったら」
にこりとトマスに笑われて、マルティナはさっきまでの不安が吹き飛んでいることに気づいた。
(ああ、まただ)
いつもだ。
トマスがそこにいるだけで、マルティナは不安を忘れることができる。
ここにいてもいいのかとか、会話と途切れさせてはいけないとか、淑女らしくしなければならないとか、そういったこともなにもかも気にならなくなる。
「まあ、かわいい」
遅れて出てきたローゼが、クマのぬいぐるみを見てほほ笑んだ。
「でもトマスさん、マルティナ様はもう十六よ。ぬいぐるみは子供っぽすぎるのでは……」
「いいの!」
咎めるように言ったローゼを、マルティナは途中で遮った。
「うれしいから、……いいの」
その声に、ローゼは黙りトマスを見上げた。彼はニコニコ笑ったまま、「では食事に行きましょうか。ぬいぐるみはお留守番ですね」と子供に対するような態度でマルティナに接する。
言われるがまま、ベッドにぬいぐるみを置いて小走りに戻ってきたマルティナは、「食堂まで案内しますよ」というトマスに引っ付くようにして歩いていく。
ローゼはそんなふたりを黙って見つめたまま後ろをついていった。