片想いウイルス(短編集)
「お腹、空いたから……」
「え?」
「ごはん、食べに行こ……ふたりで。車で来てるなら、そのあと部屋まで送って。くれたら……お茶くらい、出す」
途切れ途切れ、ようやくそう伝える。二階堂は数秒の間を置いてから「じゃあ、行くか」と。静かに言った。
その声はすっきりと澄んで聞こえたから。わたしもさっきまでの動揺と混乱がすっと治まって。「ハンバーグ食べたい」と、いつもの調子で答えることができた。
二階堂も「はいはい」といつもの調子で返し、スーツの裾を掴んでいたわたしの手の甲をひと撫でしてから、自分のデスクに戻って行く。
「早く片付けて飯行くぞ。煎餅じゃあ腹の足しになんねぇよ」
「う、うん……」
こんなの……こんなのずるい……! 知り合って六年、指一本だって触れたことがなかったのに、急に手の甲を触るなんて……! しかもなんか手慣れたスケベタッチだ……!
二階堂のやつ、普段から女の子たちの手をこんな風に触っているんじゃ……。連日誘いも多い人気者なのだから、触ったり触られたりも充分有り得る。……。
まあ別にまだ付き合っているわけではないし、二階堂が誰と何をしようが自由なのだけれど……。
わたしが「はい」と返事をすれば、片想いが終わる。でもなんだか、素直に返事をしてしまうのは悔しい気がした。
お正月に実家で何個も食べたのに、ここに来てわたしも、お餅を焼いてしまったみたいだ。
だから返事をする前に、一度でも二階堂を照れさせてやりたいのだけれど……。知り合って六年、まだ一度も呼んだことがない下の名前を言ってみたら、少しは照れてくれるだろうか。