navy blue〜お受験の恋〜
その日の夕方、夕食を作っているみちかの元へ乃亜がスマートフォンを持ってきた。

「ママ、電話だよ。」

「あら、ありがとう。」

それは悟からの着信で、みちかは急いで電話に出た。

「もしもし?今ちょっといいかな。緊急事態なんだ。」

「え…、どうしたの?」

悟が勤務中、電話をしてくるなんて珍しかった。
緊急事態と発音する悟の声にはいつに無い緊張感が感じられて、ただ事では無いのが伝わってきた。

みちかは思わず、魚を焼いていたグリルのスイッチを切り換気扇を止めた。
シンとした部屋の中、電話の向こうの悟の声は鮮明に聞こえた。

「アデールの取引先が、急に倒産したんだ。うちのブランドも入ってる店だから、これからすぐ対応する事になった。明日も緊急会議に出なくちゃいけないんだ。」

「え…。」

目の前が暗くなるようだった。
聖セラフの試験は、面接も含めた全てが明日、行われる。
乃亜が筆記試験を受けている間に、悟と2人で両親面接に挑む予定だったのだ。

「明日の面接には行けなくなった。ごめん、でも聖セラフは必ずしも両親揃わなくてもいいような事を、学校説明会で教頭先生が言ってたよね?」

「それは…たしかに仰っていたけれど…。」

みちかは言葉を失った。
もう、何をどう言っても悟は明日来れないんだ、と思った。
状況もそうだし、悟の性格も。
けれどそれよりも何よりも受験に対する意気込みをもうこの人は失っている。

「明日は、申し訳ないけど君に任せるよ。今日も遅くなるから夕飯はいらない。」

「……分かったわ。」

低くて暗い自分の声に、みちかはうんざりした。

「乃亜には君から謝っておいてくれないかな?ごめん、急いでいるからもう切るけど。」

シンクの横で立ち尽くし、こちらを見ている心配そうな乃亜の顔を見つめながら「分かったわ。気をつけてね。」と言って、みちかは通話を終了させた。

「パパ?」

心配そうにこちらを見上げながら近寄る乃亜に、みちかは優しく微笑んだ。

「うん。パパね、お仕事が忙しくなっちゃって今日は遅くなるんですって。」

「パパ、大変だね。」

うんうんと頷く乃亜の肩にみちかはそっと触れた。

「そうなの、パパは大変なの。それでね、明日のお試験も一緒に行けなくなってしまったの。乃亜ちゃんごめんね、って、パパが言っていたわ。」

乃亜の顔の高さまでしゃがみ込み、なるべくゆっくりと乃亜に話す。
いつも百瀬がやっているように。

「そうなんだ。大丈夫だよ、乃亜ちゃんパパが居なくても明日頑張れるよ。」

「うん。乃亜ちゃん偉いね。ママと2人で頑張ろうね。」

みちかはゆっくりと頷いて見せた。
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