焔の指先、涙の理由
▲5手 焔の在処
星の体温は高いので、シーツの冷たい部分を求めてわたしは身をよじった。
だけどせっかく空けた隙間をすぐさま埋めて、星はわたしを抱き締める。
「ねぇ。わたしのこと、まだきらい?」
「きらいだよ」
首筋に感じる呼吸は、星の中にある焔にほんの少しだけ似ている。
「昔からずっと、大きらい」
星がアマチュアでありながら、プロの棋戦で優勝したのは先日のこと。
タイトルホルダーなどは出ない新人限定の棋戦ではあるが、それでも前例のないことだった。
だけど、近ごろ星が宙を見つめて考え込んでいるとき、それは盤面のことではなく、仕事の問題だったり、もしくは将棋の指導を頼まれた少年のことであったりする。
彼の中で自身の将棋にかける時間は、確実に減っていた。
ただそれは将棋に対する情熱が減ったこととは少し違う。
「あんた、バカなの?」
苛立たしげに駒をもどす手は、荒々しくもやはりうつくしい。
「突っ込んでくるから何か策があるかと思ったら、一手先も読んでないなんて」
「だって、ここで引いたら気合い負けすると思って」
「気合い負けね。勝負に負けても気合いで勝てたら満足? アホだな」
不機嫌に黙りこくるわたしの頭を星は軽く小突いた。
「悔しいなら強くなれ」
勝負に負けたことはもちろん悔しいけれど、もう涙は出ない。
「……強くなりたい」
「うん」
駒を操る手に見とれながら、わたしは問う。
「プロを目指さないの?」
アマチュアで活躍し、プロの公式戦で一定以上の成績を残すと、プロ編入試験の受験資格が得られる。
その高い条件をクリアした星が受験するのかしないのか、将棋ファンは注目していた。
「受験はしない。仕事もおもしろくなってきたしな」
ロウソクが消えたあとの白い煙。
あれに火を近づけると、ロウソクにはふたたび火がつくのだという。
「おもしろいの? いつも悩んでるのに?」
「難しいことのほうが楽しいのは基本だろ」
将棋と同じことを星はここでも言った。
「仕事もする。将棋もする。未来の名人も育てる。恋愛もする」
そう言って笑う目は、盤を見つめるときのそれだ。
生きる世界が変わって、焔も場所を変えて燃えている。
「俺は全部やる」
ヤツはいまでも変わらず、“棋士”だ。
fin.