焔の指先、涙の理由

 *

最初の出会いから十年。
どうにかこうにか念願の女流棋士になって四年経った盛夏の頃に、わたしはヤツと再会した。

「ああ、よかったよかった。ちょうどいいから一緒に行こう」

訪ねるなり、玄関で靴を履いていた師匠に連れ出された。
またどこかで指導でもあるのだろうと『GUAM』と書かれた黄いろいTシャツを追う。
師匠の背中は汗でいろが変わっていて、わたしのブラウスも肌に張りついていた。
生徒さんたちに笑われちゃうかな、と呑気なことを考えているうちに公民館に着いた。

ところが、その一室で待っていたのは将棋を教わりにきたアマチュアの方ではなく、棋士一人と奨励会員一人だった。

「お待たせお待たせ。代打がなかなかつかまらなくてね」

紹介すらされないわたしは、部屋の入り口で立ち尽くしてしまう。

「先生、今日は有坂先生が来てくれるはずでは?」

不機嫌を隠さず発言したのは、二十歳を迎えていたヤツだった。

「有坂はインフルエンザだって」

「この時期に?」

「今朝病院で診断されたらしいよ。連盟にはちゃんと電話したし、対局もついてないから大丈夫」

暑いねぇ、と首筋を拭う師匠以外、全員が凍りついていた。
汗で濡れた背中を別種の汗が伝い落ちる。
どうやらわたしは、代打として研究会に連れて来られたらしい。

研究会とは、各々が自分で研究してきたことを、練習将棋を通して実践的に試す場所。
当然棋力の高い人の方が歓迎される。
彼らは、名人を期待される天才棋士と研究するつもりで集まり、突然わたしをあてがわれたのだ。

破裂した水道管をセロハンテープで補修するような、無謀な穴埋めだった。
そのいたたまれない空気がエアコンの風に乗って漂う。
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