この世界にきみさえいれば、それでよかった。
私はすぐに2階へと上がって、クローゼットに入っていたボストンバッグを取り出した。このバッグはこっちに引っ越す時に使ったものだ。
元々私の私物なんて、このバッグに入りきるぐらいの荷物しか持ってきていない。私はまた半年前のように洋服や日用品を詰めていく。
こうやって人目を盗んでバッグに色んなものを乱雑に入れてると、泥棒にでもなった気分だ。
えっと、あとは洗面所にある洗顔と歯ブラシと……。
「サユ?」
突然、名前を呼ばれてドキッとする。
振り向くと、開けっ放しのドアの前におばあちゃんが立っていた。
「なにしてるの?」
おばあちゃんの視線が私のボストンバッグへと向く。
……せっかく鉢合わせしないようにしてたのに。
「昨日は帰ってこなかったでしょ?」
私はおばあちゃんの言葉に、ゆっくりとバッグのチャックを閉める。
『度が過ぎたしつけをされていたことは知ってる。それがサユにとって苦痛だったことも、寛之さんに馴染めなくてあまり関係がうまくいってなかったことも分かってるわ』
昨日言われたことが頭に浮かぶ。
全然分かってないのに、分かっていると断言されたこと。あんなことを言われて平気な顔して『ただいま』なんて帰れるぐらい強かったら、私はこんなに苦しんでない。
「……暫く、友達の家に泊まるから」
「……友達って?」
「家に連絡がいくようなことはしないから大丈夫だよ。じゃあね」
「……サ、サユ」
引き止めるようなおばあちゃんの声を無視して、私はそのまま家を出た。
軽い荷物だけなのにボストンバッグがずしりと重く感じたのは気のせいじゃない。