しあわせ食堂の異世界ご飯
6 トマトのピリ辛ストロガノフ
夏が終わって秋の入り口にさしかかると、ジェーロは肌寒さを感じるようになった。
春の国だったエストレーラから来たアリアは、今まで一年中穏やかな気温のなかで暮らしてきた。
そのため、ジェーロのような急激の温度変化には驚いてしまう。
アリアは、転生前に日本で四季を経験しているからまだいい方だ。けれどシャルルは雪を見たこともないので、最初の冬は辛いかもしれない。
初めての冬は、少し苦労するかもしれないなと思う。
フックコートに着替えながら、寒くなったらメニューにスープを加えたいなとアリアは考える。
体の芯から温まるような、少しピリ辛のものがいいだろう。
「ああでも、寒くなったら布団が恋しくなって早起きが辛くなるなぁ……」
二度寝はとても幸せな気分になるけれど、容赦なく時間を奪っていくのだ。料理の準備をしなければいけないアリアにとって、それは非常に困ってしまう。
定休日くらい、二度寝してもいいよね……なんて思いながら、階段を降りて一階の店舗へと向かった。
***
お昼の時間が終わり、アリアは新メニューのために鶏肉の処理をし始めた。
今日もハンバーグはすぐに完売、カレーも残り少なくなったので店を閉めたのだ。
夜の分まで仕込みをする余裕がないため、【しあわせ食堂】はもっぱらランチ営業のみになっている。
「アリア~」
「ん? どうしたの、シャルル」
厨房で一人作業しているアリアの下に、シャルルが顔を出した。
給仕用の服装から、アリアの侍女服に着替えている。特に何かあるという話を聞いていなかったので、アリアは何かあったのかとシャルルに尋ねる。
「私たち、ずっとここで働いているじゃないですか。もちろんそれはいいんですけど、侍女らしく王城に行って情報収集をしてこようかなと思ったんです」
「あっ、なるほど……!」
まさか、シャルルにこんな侍女っぽいことを言われるとは思わなかった。
妃候補としてジェーロへやって来て、一ヶ月と少し。
確かに、現在の皇帝の様子やほかの妃候補の動向を把握しておくのはアリアの仕事だろう。
――料理にばかり夢中になって、王女の仕事を疎かにしたら駄目よね。
「なので、ちょっと王城へ行ってきますね。アリア様は、このままここでお待ちください。王城へ出入りしているところを、誰かに目撃されても面倒ですから」
「そうね……」
一緒に行きたいところだが、お客さんの中にはアリアの顔を覚えている人も多い。公に王城へ出入りするのは、あまりよくないだろう。
シャルルであれば、使用人や業者が使う裏口から王城に入ることができるので、誰かに素性を怪しまれることもない。
「じゃあ、シャルルにお願いするわね。でも、無理はしないでね?」
「はい! アリア様は、お店から出ないでくださいね。私がいないときに何かあっても、助けられませんから」
「ん、気を付ける」
以前カミルと二人で市場に出かけたとき、シャルルから自分を置いて行くなと怒られてしまったことを思い出す。ここはエストレーラのようにのどかな田舎ではないのだから、と。
「それじゃあ、いってきます!」
「いってらっしゃい、よろしくね」
店の出入り口までシャルルを見送り、ふうと一息つく。
シャルルを待っている間にスープをある程度かたちにしようと思ったところで、人通りの中に見知った顔を見つける。
「リントさん!」
「……こんにちは」
「こんにちは。昼間に会うのは、なんだか珍しいですね」
夕食の時間に来てくれることが多かったため、なんだか新鮮な気分になる。
けれど、今日も品切れになってしまってお店を閉めてしまった。どうしていつも、リントの来る日に限って早めの閉店になってしまうのか……。
アリアは項垂れながら、「今日の分は売り切れてしまって」と告げる。
「本当に人気だな、この店は……」
「ありがたくはあるんですけど、リントさんに来ていただいたときばっかり閉店なのが申し訳ないです」
「いや、別にいい。普段から昼は食べないからな。それに、これから少し仕事があるから……」
そう言って、リントは問題ないと手を振るのだが――アリアとしては大問題だ。
「お昼ご飯は大事なんですよ、リントさん! もう、ちょっと待っていてください!!」
「え? あ、ああ」
言うや否や、アリアは一度店内へ戻り急いで厨房へ行く。
これから仕事に行くと言っていたので、アリアはリントのためにお弁当を用意しようと考えたのだ。
気に入ってくれているじゃこの梅おにぎりを用意できたらいいのだが、あいにく材料のじゃこはもう残っていない。
「カリカリ梅だけは残ってるから、それとゴマを入れたおにぎりにしようかな」
それから鶏肉にさっと味付けをして、から揚げを作る。
これなら、外でも手軽に食べられるはずだ。おにぎり二個とから揚げを包み、アリアは急いで店の外へ戻る。
「お待たせしました!」
「あ、ああっ」
「よかった、ちゃんと待っててもらえて!」
変わらず店の前にいるリントを見て、アリアはほっと胸を撫でおろす。
もしかしたら、待っていてもらえないかもしれないと思った。リントは無口であまり話をしないので、おそらく嫌われてはいないだろうが……アリアはどう思われているのかいまいちわからないのだ。
とりあえず、作ってきたお弁当を渡す。
「……これは?」
「おにぎりと、から揚げです」
「……っ!」
アリアがおにぎりと言った瞬間、リントの頬にわずかな朱色がさした。
――あ。やっぱり、おにぎり気に入ってたんだ。
そしていつも無表情だったリントの感情が見えて、少しだけ嬉しくなる。
けれど、今回のおにぎりは前回のものと少し違う。それが申し訳ないけれど、カリカリ梅とゴマの組み合わせも美味しいからアリア的にはオススメだ。
「えっと、今日はじゃこのおにぎりじゃないんです。梅とゴマですけど、美味しいですよ」
「あ……いや、ありがとう」
内心で喜んでいるのがばれてしまい、リントは恥ずかしそうに顔を背けて口元を手で押さえる。
「それじゃあ、俺はこれで……」
「はい。お仕事、頑張ってください」
リントが軽く頭を下げて、アリアの下を離れた。
仕事があると言っていたから、これ以上引き留めるのは申し訳ないだろう。アリアは手を振って、リントを見送った。
春の国だったエストレーラから来たアリアは、今まで一年中穏やかな気温のなかで暮らしてきた。
そのため、ジェーロのような急激の温度変化には驚いてしまう。
アリアは、転生前に日本で四季を経験しているからまだいい方だ。けれどシャルルは雪を見たこともないので、最初の冬は辛いかもしれない。
初めての冬は、少し苦労するかもしれないなと思う。
フックコートに着替えながら、寒くなったらメニューにスープを加えたいなとアリアは考える。
体の芯から温まるような、少しピリ辛のものがいいだろう。
「ああでも、寒くなったら布団が恋しくなって早起きが辛くなるなぁ……」
二度寝はとても幸せな気分になるけれど、容赦なく時間を奪っていくのだ。料理の準備をしなければいけないアリアにとって、それは非常に困ってしまう。
定休日くらい、二度寝してもいいよね……なんて思いながら、階段を降りて一階の店舗へと向かった。
***
お昼の時間が終わり、アリアは新メニューのために鶏肉の処理をし始めた。
今日もハンバーグはすぐに完売、カレーも残り少なくなったので店を閉めたのだ。
夜の分まで仕込みをする余裕がないため、【しあわせ食堂】はもっぱらランチ営業のみになっている。
「アリア~」
「ん? どうしたの、シャルル」
厨房で一人作業しているアリアの下に、シャルルが顔を出した。
給仕用の服装から、アリアの侍女服に着替えている。特に何かあるという話を聞いていなかったので、アリアは何かあったのかとシャルルに尋ねる。
「私たち、ずっとここで働いているじゃないですか。もちろんそれはいいんですけど、侍女らしく王城に行って情報収集をしてこようかなと思ったんです」
「あっ、なるほど……!」
まさか、シャルルにこんな侍女っぽいことを言われるとは思わなかった。
妃候補としてジェーロへやって来て、一ヶ月と少し。
確かに、現在の皇帝の様子やほかの妃候補の動向を把握しておくのはアリアの仕事だろう。
――料理にばかり夢中になって、王女の仕事を疎かにしたら駄目よね。
「なので、ちょっと王城へ行ってきますね。アリア様は、このままここでお待ちください。王城へ出入りしているところを、誰かに目撃されても面倒ですから」
「そうね……」
一緒に行きたいところだが、お客さんの中にはアリアの顔を覚えている人も多い。公に王城へ出入りするのは、あまりよくないだろう。
シャルルであれば、使用人や業者が使う裏口から王城に入ることができるので、誰かに素性を怪しまれることもない。
「じゃあ、シャルルにお願いするわね。でも、無理はしないでね?」
「はい! アリア様は、お店から出ないでくださいね。私がいないときに何かあっても、助けられませんから」
「ん、気を付ける」
以前カミルと二人で市場に出かけたとき、シャルルから自分を置いて行くなと怒られてしまったことを思い出す。ここはエストレーラのようにのどかな田舎ではないのだから、と。
「それじゃあ、いってきます!」
「いってらっしゃい、よろしくね」
店の出入り口までシャルルを見送り、ふうと一息つく。
シャルルを待っている間にスープをある程度かたちにしようと思ったところで、人通りの中に見知った顔を見つける。
「リントさん!」
「……こんにちは」
「こんにちは。昼間に会うのは、なんだか珍しいですね」
夕食の時間に来てくれることが多かったため、なんだか新鮮な気分になる。
けれど、今日も品切れになってしまってお店を閉めてしまった。どうしていつも、リントの来る日に限って早めの閉店になってしまうのか……。
アリアは項垂れながら、「今日の分は売り切れてしまって」と告げる。
「本当に人気だな、この店は……」
「ありがたくはあるんですけど、リントさんに来ていただいたときばっかり閉店なのが申し訳ないです」
「いや、別にいい。普段から昼は食べないからな。それに、これから少し仕事があるから……」
そう言って、リントは問題ないと手を振るのだが――アリアとしては大問題だ。
「お昼ご飯は大事なんですよ、リントさん! もう、ちょっと待っていてください!!」
「え? あ、ああ」
言うや否や、アリアは一度店内へ戻り急いで厨房へ行く。
これから仕事に行くと言っていたので、アリアはリントのためにお弁当を用意しようと考えたのだ。
気に入ってくれているじゃこの梅おにぎりを用意できたらいいのだが、あいにく材料のじゃこはもう残っていない。
「カリカリ梅だけは残ってるから、それとゴマを入れたおにぎりにしようかな」
それから鶏肉にさっと味付けをして、から揚げを作る。
これなら、外でも手軽に食べられるはずだ。おにぎり二個とから揚げを包み、アリアは急いで店の外へ戻る。
「お待たせしました!」
「あ、ああっ」
「よかった、ちゃんと待っててもらえて!」
変わらず店の前にいるリントを見て、アリアはほっと胸を撫でおろす。
もしかしたら、待っていてもらえないかもしれないと思った。リントは無口であまり話をしないので、おそらく嫌われてはいないだろうが……アリアはどう思われているのかいまいちわからないのだ。
とりあえず、作ってきたお弁当を渡す。
「……これは?」
「おにぎりと、から揚げです」
「……っ!」
アリアがおにぎりと言った瞬間、リントの頬にわずかな朱色がさした。
――あ。やっぱり、おにぎり気に入ってたんだ。
そしていつも無表情だったリントの感情が見えて、少しだけ嬉しくなる。
けれど、今回のおにぎりは前回のものと少し違う。それが申し訳ないけれど、カリカリ梅とゴマの組み合わせも美味しいからアリア的にはオススメだ。
「えっと、今日はじゃこのおにぎりじゃないんです。梅とゴマですけど、美味しいですよ」
「あ……いや、ありがとう」
内心で喜んでいるのがばれてしまい、リントは恥ずかしそうに顔を背けて口元を手で押さえる。
「それじゃあ、俺はこれで……」
「はい。お仕事、頑張ってください」
リントが軽く頭を下げて、アリアの下を離れた。
仕事があると言っていたから、これ以上引き留めるのは申し訳ないだろう。アリアは手を振って、リントを見送った。