しあわせ食堂の異世界ご飯
エストレーラ王国からジェーロ帝国までは、馬で片道一ヶ月ほど。
途中に街や村がなく、野宿になる場所もある。自然の多いエストレーラだが、こういったところは不便だと言っていいだろう。
――交通機関が整っていればよかったんだけど。
馬に乗りながら、アリアがため息をつく。
大きな街道は整備されているところもあるが、まだまだ国内すべての道に舗装することはできていない。
エストレーラの今後の課題だと、アリアは思う。
「とはいえ、私もジェーロの人間になるからいらぬ心配かなぁ」
きっと、父親かルシアがゆっくり整備していってくれるだろう。
「アリア様、どうしました?」
「うぅん、何でもない。早くジェーロに着くといいね」
「そうですねぇ。でも、ジェーロの皇帝は恐ろしいって言いますし……つい先日だって、反抗する村を一つ焼き払ったって聞きましたよ」
「あー……」
そう、そうなのだ。
アリアがジェーロへ妃候補として行くための準備をしている間にも、かの冷酷皇帝の噂は続々エストレーラまで流れてきていた。
税金が高い、戦争のため武器を集め始めた、逆らう臣下を見せしめに殺した……などなど、いい噂はまったくない。
「国のためにはアリア様が妃になるのがいいんですけど、私個人としては微妙です」
「シャルル……」
「だから、何かあったときはこの命をかけて皇帝を抹殺しますからね!」
「お願いだから早まったりしないで……」
意気込むシャルルを見て不安になりつつも、アリアはその気遣いには礼を告げた。
馬での旅は順調に進み、ジェーロの国境近くまでやって来た。
ここからジェーロへ行くには、大きな森の中を通らなければならない。その理由は、つい最近までジェーロが戦争をしていたからだ。
遠回りをすれば舗装された道に出ることもできるけれど、かなり大回りしなければならないため、アリアは森の中を進む道を選択した。
並んで馬を走らせていたが、ここからはシャルルが前へ出る。
「森の中には野生動物もいますから、絶対に私より前に出ないでくださいね」
「ん、わかった」
うっそうと茂った森は、夏だというのに薄暗く空気が思い。
木の根が地面から盛り上がっている箇所も多く、馬のペースを落としてゆっくり歩かせる。
「あ、小川が流れてますよ」
「本当だ。水も綺麗だし、魚もいっぱい泳いでる」
「もしかして、私の大好物の出番ですか!?」
「川海老かぁ……ここにいるかなぁ?」
シャルルがぱっと瞳を輝かせてアリアに問いかけたのは、エビフライだ。エストレーラの川では大きな川海老が獲れ、シャルルの大好物になっている。
アリアとしては食べさせてあげたいけれど、今は網も何もないので残念ながら獲ることは難しいだろう。
「ジェーロは海に面してるから、きっと活きのいい海老もいるはず。そしたら、たくさん食べよう」
「はいっ! ジェーロがちょっとだけ楽しみになりました」
にぱっとシャルルが笑い、「じゃあ急がないと!」と張り切る。
「この森を抜けたら、すぐ先がジェーロですからね! ふふ、私のエビフライ待っててくださいね~!」
「まったく、シャルルったら……」
「アリア様の料理で一番美味しいのは、間違いなくエビフライです! それも、とびっきり大きい――きゃあっ!?」
「シャルル!?」
言い終わるよりも早く、シャルルの悲鳴が森にこだまする。
いったい何があったのかと前方を見ると、数匹の狼がシャルルへ飛びかかっていた。まさか、狼が出るなんてとアリアは一気に青ざめる。
――私がケチらないで、迂回ルートにすればよかったんだ……っ!!
ぎりっと唇を噛みしめるも、アリアには戦う力なんてない。
このままではシャルルが狼に食い殺されてしまう。そんな不安がよぎるが、それはすぐに一蹴された。
『ギャウゥンッ!』
「エストレーラの騎士である私が、狼ごときに後れを取ったりはしませんよ!!」
まさに――一閃。
シャルルの構えたナイフが、狼の喉を切り裂いていた。
「す、すご……っ!」
シャルルが強いことは知っていたけれど、実践を目にしたことはなかった。
アリアが知っているシャルルといえば、鍛錬している姿か、料理の材料である獲物を調達してきた後の姿くらいだ。
――いや、獲物を担いで帰ってくる時点で十分すごいんだけどね。
シャルルが初めて猪をその細腕で担いできたときは、びっくりして腰を抜かすかと思ったほどだ。
「アリア様、すぐに始末しますからもう少しお待ちくださいね!」
「うん」
小さな体を活かすように、シャルルは体勢を前かがみにし地面を蹴りあげ狼の懐へ入っていく。そのまま下からナイフを振り上げ、狼を倒す。
その鮮やかな手つきは、今までエビフライに夢中だった女の子には見えない。
アリアが余裕そうだと安心したのも束の間で、シャルルの苦しそうな声が耳に届く。
「シャルル!?」
「いけない……っ! さらに奥から、狼が五匹……っ!!」
数匹であればシャルルも対応できたけれど、追加で五匹はかなり辛い。いや、無謀と言ってもいいだろう。
このままでは、二人ともが狼にやられてしまう。
シャルルが一匹の攻撃をナイフで受け止めるが、すぐに横から二匹目、三匹目の狼が攻撃をしてくる。
それを避けることができなくて、シャルルの体は大きく後方――アリアの下まで吹っ飛んだ。
「っう、はぁ……っ!」
「大丈夫!? シャルル!!」
「はっ、は、はぁっ……アリア様、ここは私が引きつけます。ですから、馬に乗って早く森の外へ逃げてください!」
「駄目!!」
告げられた言葉を、アリアは即座に否定する。
シャルルを囮にして自分だけ逃げるなんて、そんなことできるはずもない。
足はガクガク震えていて、背中は冷や汗をかいて……今にも泣きだしたい気持ちだ。けれど、それはシャルルを置いて逃げていい理由にはならない。
こちらへ近づいてくる狼からアリアを庇うように、シャルルがナイフを構えた。けれど、その刃は狼の血に濡れてしまっている。
狼が一斉にこちらへ走ってきて、絶体絶命――そう思った瞬間、走ってくる狼にナイフが突き刺さった。
「え……っ?」
『ギャウウッ!』
響く狼の声と、アリアの背後から聞こえる足音。それは人間のもので、二人の男性が剣を手にして狼の群れに切り付けていく。
あっという間に七匹もの狼を倒し、男性はこちらを振り向いた。
「大丈夫か?」
「は、はい、大丈夫です。……ありがとうございます、助かりました」
「……というか、どうしてこんな森の中にいるんだ」
「私はアリアと申します。この森を抜けて、ジェーロ帝国に行く途中だったんです」
「ああ、迂回しなかったのか」
アリアが簡単な説明と、身分がばれないよう名前だけを名乗る。すると男は、剣を鞘に戻しながら「なるほどな」と呟いた。
「……俺はリント。こっちはローレンツ。ジェーロ方面に行くわけじゃないが、この森を抜ける途中だ」
リントと名乗った男は、年のころでいえばアリアと同じ十七歳くらいだろう。
右サイドの前髪だけ少し長めの、綺麗な銀色の髪だ。彩度が低い水色の瞳はどこか冷たい雰囲気を感じるけれど、助けてくれたので優しい人だということはわかる。
黒を基調としたラフな軍服姿で、機能性を重視しているようだ。
もう一人は、ローレンツ。
十代後半ほどで、どこか厳しそうな雰囲気を感じさせる。紫をおびた暗い青色の髪を後ろで一纏め、腰の後ろにはクロスする形で双剣が帯剣している。
「リントさん、ローレンツさん、助けていただいてありがとうございました」
「助けていただき、ありがとうございました。私はシャルルと申します。お二人の剣捌き、とても見事なものでした」
アリアとシャルルは頭を下げ、改めて助けてもらったことの礼を伝える。
「すでに倒されていた狼は、あなたが倒したのですね……」
ローレンツがシャルルを見て、「いい切り口でした」と褒め言葉を口にする。
すると、シャルルはぱあっと表情を輝かせて「ありがとうございます!」と再び頭を下げる。
「こんなすごい方に褒めてもらえるなんて、嬉しいですっ!!」
「大袈裟ですよ」
シャルルの過剰な反応にローレンツが苦笑しつつも、懐から一本のナイフを取り出しそれをシャルルに渡す。
「え?」
「そのナイフでは、もう使い物にならないでしょう? 差し上げますから、無事にこの森を出てください」
「あ、ありがとうございます!」
先ほど狼と戦ったため、シャルルのナイフは血がべっとりついて刃こぼれをして使い物になれなくなってしまっていた。
ありがたく頂戴し、シャルルは懐にしまう。
その様子を見ていたアリアは、何かお礼をしなくては……と、頭を悩ませていた。お礼として渡せる金銭の計算をしながら、リントに話しかける。
「助けていただいたのと、ナイフをいただいたお礼をしたいのですが」
「……そんなの、気にしなくていい」
「で、ですが……」
さすがにそれは申し訳ない。
アリアがそう思い鞄からお金を取り出そうとしたところで、ぐううぅぅぅと盛大な音がした。……シャルルのお腹から。
途中に街や村がなく、野宿になる場所もある。自然の多いエストレーラだが、こういったところは不便だと言っていいだろう。
――交通機関が整っていればよかったんだけど。
馬に乗りながら、アリアがため息をつく。
大きな街道は整備されているところもあるが、まだまだ国内すべての道に舗装することはできていない。
エストレーラの今後の課題だと、アリアは思う。
「とはいえ、私もジェーロの人間になるからいらぬ心配かなぁ」
きっと、父親かルシアがゆっくり整備していってくれるだろう。
「アリア様、どうしました?」
「うぅん、何でもない。早くジェーロに着くといいね」
「そうですねぇ。でも、ジェーロの皇帝は恐ろしいって言いますし……つい先日だって、反抗する村を一つ焼き払ったって聞きましたよ」
「あー……」
そう、そうなのだ。
アリアがジェーロへ妃候補として行くための準備をしている間にも、かの冷酷皇帝の噂は続々エストレーラまで流れてきていた。
税金が高い、戦争のため武器を集め始めた、逆らう臣下を見せしめに殺した……などなど、いい噂はまったくない。
「国のためにはアリア様が妃になるのがいいんですけど、私個人としては微妙です」
「シャルル……」
「だから、何かあったときはこの命をかけて皇帝を抹殺しますからね!」
「お願いだから早まったりしないで……」
意気込むシャルルを見て不安になりつつも、アリアはその気遣いには礼を告げた。
馬での旅は順調に進み、ジェーロの国境近くまでやって来た。
ここからジェーロへ行くには、大きな森の中を通らなければならない。その理由は、つい最近までジェーロが戦争をしていたからだ。
遠回りをすれば舗装された道に出ることもできるけれど、かなり大回りしなければならないため、アリアは森の中を進む道を選択した。
並んで馬を走らせていたが、ここからはシャルルが前へ出る。
「森の中には野生動物もいますから、絶対に私より前に出ないでくださいね」
「ん、わかった」
うっそうと茂った森は、夏だというのに薄暗く空気が思い。
木の根が地面から盛り上がっている箇所も多く、馬のペースを落としてゆっくり歩かせる。
「あ、小川が流れてますよ」
「本当だ。水も綺麗だし、魚もいっぱい泳いでる」
「もしかして、私の大好物の出番ですか!?」
「川海老かぁ……ここにいるかなぁ?」
シャルルがぱっと瞳を輝かせてアリアに問いかけたのは、エビフライだ。エストレーラの川では大きな川海老が獲れ、シャルルの大好物になっている。
アリアとしては食べさせてあげたいけれど、今は網も何もないので残念ながら獲ることは難しいだろう。
「ジェーロは海に面してるから、きっと活きのいい海老もいるはず。そしたら、たくさん食べよう」
「はいっ! ジェーロがちょっとだけ楽しみになりました」
にぱっとシャルルが笑い、「じゃあ急がないと!」と張り切る。
「この森を抜けたら、すぐ先がジェーロですからね! ふふ、私のエビフライ待っててくださいね~!」
「まったく、シャルルったら……」
「アリア様の料理で一番美味しいのは、間違いなくエビフライです! それも、とびっきり大きい――きゃあっ!?」
「シャルル!?」
言い終わるよりも早く、シャルルの悲鳴が森にこだまする。
いったい何があったのかと前方を見ると、数匹の狼がシャルルへ飛びかかっていた。まさか、狼が出るなんてとアリアは一気に青ざめる。
――私がケチらないで、迂回ルートにすればよかったんだ……っ!!
ぎりっと唇を噛みしめるも、アリアには戦う力なんてない。
このままではシャルルが狼に食い殺されてしまう。そんな不安がよぎるが、それはすぐに一蹴された。
『ギャウゥンッ!』
「エストレーラの騎士である私が、狼ごときに後れを取ったりはしませんよ!!」
まさに――一閃。
シャルルの構えたナイフが、狼の喉を切り裂いていた。
「す、すご……っ!」
シャルルが強いことは知っていたけれど、実践を目にしたことはなかった。
アリアが知っているシャルルといえば、鍛錬している姿か、料理の材料である獲物を調達してきた後の姿くらいだ。
――いや、獲物を担いで帰ってくる時点で十分すごいんだけどね。
シャルルが初めて猪をその細腕で担いできたときは、びっくりして腰を抜かすかと思ったほどだ。
「アリア様、すぐに始末しますからもう少しお待ちくださいね!」
「うん」
小さな体を活かすように、シャルルは体勢を前かがみにし地面を蹴りあげ狼の懐へ入っていく。そのまま下からナイフを振り上げ、狼を倒す。
その鮮やかな手つきは、今までエビフライに夢中だった女の子には見えない。
アリアが余裕そうだと安心したのも束の間で、シャルルの苦しそうな声が耳に届く。
「シャルル!?」
「いけない……っ! さらに奥から、狼が五匹……っ!!」
数匹であればシャルルも対応できたけれど、追加で五匹はかなり辛い。いや、無謀と言ってもいいだろう。
このままでは、二人ともが狼にやられてしまう。
シャルルが一匹の攻撃をナイフで受け止めるが、すぐに横から二匹目、三匹目の狼が攻撃をしてくる。
それを避けることができなくて、シャルルの体は大きく後方――アリアの下まで吹っ飛んだ。
「っう、はぁ……っ!」
「大丈夫!? シャルル!!」
「はっ、は、はぁっ……アリア様、ここは私が引きつけます。ですから、馬に乗って早く森の外へ逃げてください!」
「駄目!!」
告げられた言葉を、アリアは即座に否定する。
シャルルを囮にして自分だけ逃げるなんて、そんなことできるはずもない。
足はガクガク震えていて、背中は冷や汗をかいて……今にも泣きだしたい気持ちだ。けれど、それはシャルルを置いて逃げていい理由にはならない。
こちらへ近づいてくる狼からアリアを庇うように、シャルルがナイフを構えた。けれど、その刃は狼の血に濡れてしまっている。
狼が一斉にこちらへ走ってきて、絶体絶命――そう思った瞬間、走ってくる狼にナイフが突き刺さった。
「え……っ?」
『ギャウウッ!』
響く狼の声と、アリアの背後から聞こえる足音。それは人間のもので、二人の男性が剣を手にして狼の群れに切り付けていく。
あっという間に七匹もの狼を倒し、男性はこちらを振り向いた。
「大丈夫か?」
「は、はい、大丈夫です。……ありがとうございます、助かりました」
「……というか、どうしてこんな森の中にいるんだ」
「私はアリアと申します。この森を抜けて、ジェーロ帝国に行く途中だったんです」
「ああ、迂回しなかったのか」
アリアが簡単な説明と、身分がばれないよう名前だけを名乗る。すると男は、剣を鞘に戻しながら「なるほどな」と呟いた。
「……俺はリント。こっちはローレンツ。ジェーロ方面に行くわけじゃないが、この森を抜ける途中だ」
リントと名乗った男は、年のころでいえばアリアと同じ十七歳くらいだろう。
右サイドの前髪だけ少し長めの、綺麗な銀色の髪だ。彩度が低い水色の瞳はどこか冷たい雰囲気を感じるけれど、助けてくれたので優しい人だということはわかる。
黒を基調としたラフな軍服姿で、機能性を重視しているようだ。
もう一人は、ローレンツ。
十代後半ほどで、どこか厳しそうな雰囲気を感じさせる。紫をおびた暗い青色の髪を後ろで一纏め、腰の後ろにはクロスする形で双剣が帯剣している。
「リントさん、ローレンツさん、助けていただいてありがとうございました」
「助けていただき、ありがとうございました。私はシャルルと申します。お二人の剣捌き、とても見事なものでした」
アリアとシャルルは頭を下げ、改めて助けてもらったことの礼を伝える。
「すでに倒されていた狼は、あなたが倒したのですね……」
ローレンツがシャルルを見て、「いい切り口でした」と褒め言葉を口にする。
すると、シャルルはぱあっと表情を輝かせて「ありがとうございます!」と再び頭を下げる。
「こんなすごい方に褒めてもらえるなんて、嬉しいですっ!!」
「大袈裟ですよ」
シャルルの過剰な反応にローレンツが苦笑しつつも、懐から一本のナイフを取り出しそれをシャルルに渡す。
「え?」
「そのナイフでは、もう使い物にならないでしょう? 差し上げますから、無事にこの森を出てください」
「あ、ありがとうございます!」
先ほど狼と戦ったため、シャルルのナイフは血がべっとりついて刃こぼれをして使い物になれなくなってしまっていた。
ありがたく頂戴し、シャルルは懐にしまう。
その様子を見ていたアリアは、何かお礼をしなくては……と、頭を悩ませていた。お礼として渡せる金銭の計算をしながら、リントに話しかける。
「助けていただいたのと、ナイフをいただいたお礼をしたいのですが」
「……そんなの、気にしなくていい」
「で、ですが……」
さすがにそれは申し訳ない。
アリアがそう思い鞄からお金を取り出そうとしたところで、ぐううぅぅぅと盛大な音がした。……シャルルのお腹から。