しあわせ食堂の異世界ご飯
「でも、こんなことまでお願いしてしまっていいのか?」
「かまいませんよ。味見をお願いしたのは私ですし」
――あれ?
リントの脱いだ上着を受け取ったとき、シャツのポケットにある懐中時計がアリアの目に入った。それは、プラチナの懐中時計だ。
円盤部分はなんら問題ないのだが、気になったのは裏面のデザイン。
――どういうこと?
アリアが見たデザインは、ジェーロ帝国の王族が使っている紋章だった。
王族の紋章が入った装飾品を使うことができるのは、原則として王族のみだ。側近や臣下に与える場合は、短剣に刻み渡すというのが一般的になっている。
つまり、懐中時計を持っているということは……リントが王族という証だ。
――え、えっ?
リントが王族? と、アリアの頭の中は軽くパニックだ。
「アリアさん、どうかしたのか?」
「あ、いいえ。すぐに水で流してきますね!」
スープを食べているリントを残して、アリアは急いで上着の裾を水で洗う。幸いなことに、シミはすぐに落とすことができた。
濡れてしまったけれど、まだ暖かいからきっとすぐに乾くだろう。
「お待たせしました、リントさん。袖口が濡れたままなんですけど……大丈夫ですか?」
「ありがとう。袖口は魔法で乾かせるから、問題ない。水を吹き飛ばせ、ウィンド」
「わぁ……」
あまり間近で魔法を見る機会がないため、アリアは思わず感嘆の声をもらす。
「そんなに珍しいか?」
「はい。私は魔法が使えないので、少し羨ましいです。魔法を使えたら、料理の幅がぐっと広がると思うんですけどね……」
なので、魔法を使えないのはとても残念なのだ。
アリアが素直にそう告げると、リントが初めて噴き出すように声をあげて笑う。
「っ、魔法を使えるのに料理人になろうなんて人、そうはいないだろう……?」
「えええぇ、そうですか? っというか、リントさんのレアな笑顔をまたしても……!!」
「……っ! わ、忘れてくれ」
不覚だと言わんばかりに、リントが再びアリアから顔を背ける。
その行動が逆に可愛く見えてしまって、思わずアリアが「意味ないですよ」と言ってしまう。
「……はぁ。なんというか、アリアさんといると調子が狂う」
「そんなこと言わないでくださいよ」
「仕方ないだろう。今までは、アリアさんのようなタイプの人が周りにいたことはなかったんだ」
だからどう接すればいいかよくわからないのだと、リントが告げる。
それを聞き、アリアはそんなことはないのでは……と、不思議に思う。アリアは王女ではあるが、自分のことはいたって普通だと思っている。
確かにちょっと料理が好きすぎるけれど、人に何かあれば心配するし、困っている人がいれば手を差し伸べる。
別段変わったことなんて、何もしてない。
――あ、でも。
「私の周りにも、リントさんみたいなタイプはいなかったです」
「……そうか」
「お互いが新鮮に映っていたんですね」
アリアはくすりと笑って、「でも」と言葉を続ける。
「今日は、リントさんのことをたくさん知れたような気がして嬉しかったです。リントさんは仏頂面も確かに綺麗ですけど、私は笑顔の方が好きですよ?」
「……仏頂面…………」
「唇の端をあげて、こう、にーっと笑えたら完璧ですね」
アリアは笑い方をリントに教えようとして、あっさり逃げられてしまう。
「そういうことは、苦手なんだ」
「ですよね」
そうだろうとは思っていましたよ。
アリアは苦笑して、少しずつでもリントが笑顔を見せてくれたらいいなと思う。
「はぁ、アリアさんといると退屈しないな」
「光栄です?」
「まあ、褒め言葉として取っておいてくれていいよ。……っと、俺はそろそろ帰る。そういえば、このスープの名前は?」
「これは『トマトのピリ辛ストロガノフ』です」
ちょっと長いうえに横文字なので、覚えにくいかもしれないとアリアは思う。
けれどそんな心配は杞憂だったようで、リントは間違えることなく料理名を復唱してくれた。
「……また、食べにくる」
「はい、お待ちしています。いつでも来てくださいね!」
「ああ」
リントがドアに手をかけ、「じゃあまた」と言って【しあわせ食堂】を後にする。
アリアはドアのところからリントを見送り、後ろ姿が見えなくなるまで眺めていた。
***
店内の清掃をチェックしてから、アリアは自室へ戻る。
作ったスープはリントが笑ってくれるほど美味しかったので、明日から店のメニューに加える予定だ。
かなり充実した一日だったなと、アリアは満足げに微笑む。
それからしばらくして、シャルルが「アリア様~!」と慌てた様子で帰ってきた。
すぐに自室へ向かえ入れると、鞄の中から一通の手紙を取り出してアリアへと渡す。
「え、これって……」
「エストレーラからの手紙です!」
後ろにはエストレーラ王家の紋章が入っており、国王からアリアへ向けた手紙だということがわかる。
「……読んでみましょう」
「はい!」
封を開けると、国王ではなく母親からの手紙が入っていた。
書かれている話題の中心は、第三王女である妹ルシアのことだ。どうやらエストレーラで、大きな動きがあったらしい。
「お母様からの手紙には、こう書かれているの――」
今、エストレーラではルシアの婚約話が進んでいるという。
近隣の国の王子が婿入りをする……というかたちになるようだが、まだ確定はしていない。そのため、ルシアの婚約が済んで落ち着くまではジェーロにいてほしいというものだった。
「ルシア様が婚約……早いですね」
「まだ十三歳だもの。でも、確かにルシアの婚約が整う前に私が帰るわけにはいかないわね」
「……そうですね」
エストレーラに帰った方がいいと言っていたシャルルは、残念そうに項垂れる。
ルシアが王子を婿に向かえるのであれば、おそらく婿の王子が国王となるか、ルシアが女王になるのだということは簡単に想像できる。
けれどそこに、婚姻していないアリアが戻ってしまうと混乱が起こってしまう。
ルシアよりもアリアの方が王位継承権の順位が高いため、必然的にアリアが女王になるだろう。
こうなると、王位のため婿に来た王子との間に亀裂が走ってしまうのだ。
下手をすると、国際問題になってしまう。
「とりあえず、現状維持ね。シャルルには申し訳ないけれど……」
「いえ、大丈夫です。エストレーラにそういった事情があるのでしたら、私は無理に帰ろうとは言いません。むしろ、ルシア様のためにリベルト陛下との結婚を成功させましょう!!」
シャルルがぐっと拳を握りしめて、本来の目的である皇帝の妃を本格的に目指しましょうと提案をしてくる。
確かに、ルシアが無事に婚約し結婚するのであればそれが一番いいだろう。
「とはいっても、リベルト陛下には結婚する気がまったくないんでしょう?」
「そうなんですよねぇ……」
妃候補として招かれている姫たちに挨拶すらしていないのに、どうやって皇帝に近づけばいいのか。
小国の姫であるアリアは王城で大きな顔をすることもできないし、向こうに会う意思がなければ謁見することもできない。
「前途多難ね……」
「とりあえず、私は定期的に情報収集をしますね。もし王城で動きがあれば、ここを出ることも考えに入れておいてください」
「……そうね。エマさんとカミルには申し訳ないけれど、そうするしかないものね」
皇帝に動きがあるまでは、とりあえず現状維持だ。
アリアは大変なことになりそうだ……と、小さくため息をつくのだった。
「かまいませんよ。味見をお願いしたのは私ですし」
――あれ?
リントの脱いだ上着を受け取ったとき、シャツのポケットにある懐中時計がアリアの目に入った。それは、プラチナの懐中時計だ。
円盤部分はなんら問題ないのだが、気になったのは裏面のデザイン。
――どういうこと?
アリアが見たデザインは、ジェーロ帝国の王族が使っている紋章だった。
王族の紋章が入った装飾品を使うことができるのは、原則として王族のみだ。側近や臣下に与える場合は、短剣に刻み渡すというのが一般的になっている。
つまり、懐中時計を持っているということは……リントが王族という証だ。
――え、えっ?
リントが王族? と、アリアの頭の中は軽くパニックだ。
「アリアさん、どうかしたのか?」
「あ、いいえ。すぐに水で流してきますね!」
スープを食べているリントを残して、アリアは急いで上着の裾を水で洗う。幸いなことに、シミはすぐに落とすことができた。
濡れてしまったけれど、まだ暖かいからきっとすぐに乾くだろう。
「お待たせしました、リントさん。袖口が濡れたままなんですけど……大丈夫ですか?」
「ありがとう。袖口は魔法で乾かせるから、問題ない。水を吹き飛ばせ、ウィンド」
「わぁ……」
あまり間近で魔法を見る機会がないため、アリアは思わず感嘆の声をもらす。
「そんなに珍しいか?」
「はい。私は魔法が使えないので、少し羨ましいです。魔法を使えたら、料理の幅がぐっと広がると思うんですけどね……」
なので、魔法を使えないのはとても残念なのだ。
アリアが素直にそう告げると、リントが初めて噴き出すように声をあげて笑う。
「っ、魔法を使えるのに料理人になろうなんて人、そうはいないだろう……?」
「えええぇ、そうですか? っというか、リントさんのレアな笑顔をまたしても……!!」
「……っ! わ、忘れてくれ」
不覚だと言わんばかりに、リントが再びアリアから顔を背ける。
その行動が逆に可愛く見えてしまって、思わずアリアが「意味ないですよ」と言ってしまう。
「……はぁ。なんというか、アリアさんといると調子が狂う」
「そんなこと言わないでくださいよ」
「仕方ないだろう。今までは、アリアさんのようなタイプの人が周りにいたことはなかったんだ」
だからどう接すればいいかよくわからないのだと、リントが告げる。
それを聞き、アリアはそんなことはないのでは……と、不思議に思う。アリアは王女ではあるが、自分のことはいたって普通だと思っている。
確かにちょっと料理が好きすぎるけれど、人に何かあれば心配するし、困っている人がいれば手を差し伸べる。
別段変わったことなんて、何もしてない。
――あ、でも。
「私の周りにも、リントさんみたいなタイプはいなかったです」
「……そうか」
「お互いが新鮮に映っていたんですね」
アリアはくすりと笑って、「でも」と言葉を続ける。
「今日は、リントさんのことをたくさん知れたような気がして嬉しかったです。リントさんは仏頂面も確かに綺麗ですけど、私は笑顔の方が好きですよ?」
「……仏頂面…………」
「唇の端をあげて、こう、にーっと笑えたら完璧ですね」
アリアは笑い方をリントに教えようとして、あっさり逃げられてしまう。
「そういうことは、苦手なんだ」
「ですよね」
そうだろうとは思っていましたよ。
アリアは苦笑して、少しずつでもリントが笑顔を見せてくれたらいいなと思う。
「はぁ、アリアさんといると退屈しないな」
「光栄です?」
「まあ、褒め言葉として取っておいてくれていいよ。……っと、俺はそろそろ帰る。そういえば、このスープの名前は?」
「これは『トマトのピリ辛ストロガノフ』です」
ちょっと長いうえに横文字なので、覚えにくいかもしれないとアリアは思う。
けれどそんな心配は杞憂だったようで、リントは間違えることなく料理名を復唱してくれた。
「……また、食べにくる」
「はい、お待ちしています。いつでも来てくださいね!」
「ああ」
リントがドアに手をかけ、「じゃあまた」と言って【しあわせ食堂】を後にする。
アリアはドアのところからリントを見送り、後ろ姿が見えなくなるまで眺めていた。
***
店内の清掃をチェックしてから、アリアは自室へ戻る。
作ったスープはリントが笑ってくれるほど美味しかったので、明日から店のメニューに加える予定だ。
かなり充実した一日だったなと、アリアは満足げに微笑む。
それからしばらくして、シャルルが「アリア様~!」と慌てた様子で帰ってきた。
すぐに自室へ向かえ入れると、鞄の中から一通の手紙を取り出してアリアへと渡す。
「え、これって……」
「エストレーラからの手紙です!」
後ろにはエストレーラ王家の紋章が入っており、国王からアリアへ向けた手紙だということがわかる。
「……読んでみましょう」
「はい!」
封を開けると、国王ではなく母親からの手紙が入っていた。
書かれている話題の中心は、第三王女である妹ルシアのことだ。どうやらエストレーラで、大きな動きがあったらしい。
「お母様からの手紙には、こう書かれているの――」
今、エストレーラではルシアの婚約話が進んでいるという。
近隣の国の王子が婿入りをする……というかたちになるようだが、まだ確定はしていない。そのため、ルシアの婚約が済んで落ち着くまではジェーロにいてほしいというものだった。
「ルシア様が婚約……早いですね」
「まだ十三歳だもの。でも、確かにルシアの婚約が整う前に私が帰るわけにはいかないわね」
「……そうですね」
エストレーラに帰った方がいいと言っていたシャルルは、残念そうに項垂れる。
ルシアが王子を婿に向かえるのであれば、おそらく婿の王子が国王となるか、ルシアが女王になるのだということは簡単に想像できる。
けれどそこに、婚姻していないアリアが戻ってしまうと混乱が起こってしまう。
ルシアよりもアリアの方が王位継承権の順位が高いため、必然的にアリアが女王になるだろう。
こうなると、王位のため婿に来た王子との間に亀裂が走ってしまうのだ。
下手をすると、国際問題になってしまう。
「とりあえず、現状維持ね。シャルルには申し訳ないけれど……」
「いえ、大丈夫です。エストレーラにそういった事情があるのでしたら、私は無理に帰ろうとは言いません。むしろ、ルシア様のためにリベルト陛下との結婚を成功させましょう!!」
シャルルがぐっと拳を握りしめて、本来の目的である皇帝の妃を本格的に目指しましょうと提案をしてくる。
確かに、ルシアが無事に婚約し結婚するのであればそれが一番いいだろう。
「とはいっても、リベルト陛下には結婚する気がまったくないんでしょう?」
「そうなんですよねぇ……」
妃候補として招かれている姫たちに挨拶すらしていないのに、どうやって皇帝に近づけばいいのか。
小国の姫であるアリアは王城で大きな顔をすることもできないし、向こうに会う意思がなければ謁見することもできない。
「前途多難ね……」
「とりあえず、私は定期的に情報収集をしますね。もし王城で動きがあれば、ここを出ることも考えに入れておいてください」
「……そうね。エマさんとカミルには申し訳ないけれど、そうするしかないものね」
皇帝に動きがあるまでは、とりあえず現状維持だ。
アリアは大変なことになりそうだ……と、小さくため息をつくのだった。