しあわせ食堂の異世界ご飯
店を閉め、翌日分の準備を終わらせ――しかしアリアの気持ちは沈んだまま。
理由は、昼間の卵焼き失敗事件だ。今までこんなミスをしたことがなかったので、ひどく落ち込んでいるのだ。
カミルがどうにか声をかけて元気づけようとしてみたが、その相槌もどこか上の空。
「シャルル、アリア大丈夫かな? 心配だよ……」
「うぅ~ん。かくいう私も、アリアが手慣れた料理で失敗したのは初めて見ました」
「初めて、かぁ」
確かにそれはショックだねと、カミルが頭をかく。どうにかして元気づけてあげたいのだが、その方法がわからない。
「こらこら、二人とも。そういうときは、少しそっとしておいてあげるのがいいんだよ!」
「母さん」
「エマさんっ! でも、何もしてあげられないのは辛いです」
人生経験の一番豊富なエマが、大丈夫だよと言って厨房にある椅子に座っているアリアを見る。
自分の部屋に閉じこもってしまったらさすがに心配するが、皆が自由に出入りできて、アリアの大好きな料理を作る場所にいるのだ。
「きっと、すぐに立ち直るさ。今はそっとしておいてあげよう」
「……わかった」
「はい」
シャルルとカミルはエマに背中を押され、自室のある二階へと上がっていった。
店舗スペースに残ったのは、アリア一人だ。
「…………」
ぼんやりと調理台を見つめながら、アリアはいろいろなことを考える。
そもそも、どうしてあんな凡ミスをしてしまったのだろう? 単純に疲れが溜まっていて、注意力が散漫になってしまっていたのだろうか。
それとも、もっと別の理由があっただろうか。
料理に集中、なんて言いながら――あのときアリアの頭の中は、リントのことでいっぱいだったのだ。
本当に皇帝陛下なのかなとか、どうしてこんな頻繁に来てくれるのだろうとか。気になって仕方がなくなってしまった。
「うぅ、全部リントさんのせいだよ……」
もし本当に皇帝であるのなら、結婚できる望みがあるのだろうか。
なんて考えが、アリアの脳裏に浮かぶ。
「って、だからリベルト陛下に結婚の意志はないのに」
きっとリントがアリアの料理を食べて笑顔になってくれたから、思わず期待してしまうのだ。
アリアは大きく息を吸い込んで、深く深呼吸をする。それを何度か繰り返して、ドキドキしていた心臓を落ち着かせる。
――よし。
ぺちんと自分の頬を叩き、アリアは気合いを入れる。
このままぼおっとしていたらみんなに心配をかけてしまう。
「シャルルたちに、もう大丈夫って伝えよう――ん?」
それぞれの部屋がある二階へ行こうとしたとき、アリアの耳にコンコンとドアを叩く音が聞こえた。もう閉店しているけれど、お客さんだろうか?
もしかしたら、忘れ物をしたりしたのかもしれないと思い、警戒せずにドアを開く。すると、そこにいたのはずーっとアリアの心をかき乱しているリントだった。
「――っ!!」
「よかった、アリアさんいてくれて。少しだけ、散歩をしないか?」
「えっと……」
突然の誘いに、どう返事をしたらいいのか戸惑う。
王女であるアリアは、今まで男性と二人で出かけたことがないのだ。カミルと市場まで仕入れに行きはしたけれど、あれは仕事なのでノーカウント。
落ち着いていたはずの心臓が、とくんとくんと、静かに……けれどはっきりと、そのリズムを早くしていく。
「その、出かけるときは危ないから一人じゃ駄目ってシャルルに言われてて」
「ああ……確かに、シャルルさんは強かったね。いちゃもんを付けてた男を倒した体術は、見事だった」
シャルルがクレーマーの男を倒し、お客さんたちからも絶賛されたのはまだ記憶に新しい。あの後、カミルのシャルルに対する接し方が少し丁寧になっていたのは笑ってしまったけれど。
リントはシャルルがいないことは不安かもしれないけれど、と前置きをしてから口を開く。
「今は俺が必ず守るから。……それじゃあ、駄目か?」
「あっ、ええと……」
「俺じゃ、アリアさんを守るには頼りない?」
少し寂しそうなリントの口調に、アリアは思わず首を振る。
狼の群れと戦い、魔法すら扱うリントが頼りないわけないのだ。シャルルもリントとローレンツはとても強いと褒めていたので、その腕前がすごいことはわかっている。
すぐに否定したアリアを見て、リントは「行こう?」ともう一度誘う。
「……少しだけ、なら」
「決まりだ」
***
リントはアリアを連れだして、大通りを挟んで反対側にある公園へとやってきた。
噴水近くのベンチに座り、二人の間に少しだけ沈黙が流れる。
「……俺に言われるのはあれかもしれないけど、アリアさん、何かあった? 昼間、どこか辛そうにしてたから」
「あ……!」
「何か嫌なことでもあったのかと思って。まあ、俺に話せることじゃないかもしれないけどさ。少しでも落ち着けたらいいなと思って」
いったい何の用事だろうと警戒していたアリアだったが、リントは純粋にアリアのことを心配して連れ出してくれたようだ。
料理を失敗するほど、落ち込むようなことがあったのでは? と、ずっと気にしてくれていたらしい。
「昼間はアリアさんと話しができなかったからね。強引でごめん」
「いえ。気遣い、ありがとうございます」
――まさか、リントさんが皇帝か気になっていたなんて言えないよ……!!
心をかき乱す元凶が隣にいて、さらに自分のことを心配してくれている。
「ジェーロはどう? 不自由とかはない?」
「はい、よくしてもらっていますから。来る前は治安がよくないっていう噂もあって不安だったんですけど、良い人ばかりで」
「そうか」
たまにいちゃもんをつけてくるお客さんがいるくらいで、後はみんな優しくしてくれる。
「それに……」
「うん?」
――リントさんも、食べに来てくれますから。
というのは、さすがにちょっとストレートすぎるだろうか。と、言いかけた言葉を引っ込める。
来たら落ち着かないけれど、来なかったら寂しいと感じてしまう。
なので、来てくれたらとても嬉しいのだとアリアは思い――はたとする。
――え、待って待って。これじゃあ、私がまるでリントさんのことを――……。
自覚をしたら、一気に顔が熱を持ち始めた。
アリアの頭の中には、どうしようという五文字がぐるぐるしている。つい今さっきまで平気だったこの状況が、火を噴くように恥ずかしく思えてしまう。
「えと、その……ひゃっ!!」
「――っ!」
何か答えなければと慌てていたアリアの小指に、リントの小指が触れて思わず体が跳ねる。二人してベンチに手を置いていたので、どうやら偶然触れてしまったようだ。
ドッドッドッと急にうるさくなった心臓をどうにかしたくて、アリアはその場で下を向く。
――どうしよう。リントさん、きっと困惑してるよね?
また落ち込んでいると思われているかもしれない。
自分の恋に気付いてしまったのだから、もういっそ告白でもしてしまおうか。なんて思い、自嘲めいた笑みが零れる。
――私はエストレーラの王女で、ジェーロの王妃になるためにここへ来たんだ。
リントが皇帝だという可能性は高いが、絶対ではない。
そんなあやふやな状況で、気持ちを伝えられるはずがないのだ。王女としての品もなければ、義務を放棄するような最低女だと思われてしまうだろう。
「すまない、ぶつかってしまって。大丈夫か?」
「! 大丈夫です。私こそ、急に俯いてしまってすみません……」
「別に気にしなくていい。アリアさんが思っている以上に、体が疲れているのかもしれないな」
リントはそう言って、アリアの茜色の髪を優しく撫でる。
「……っ!」
「え? あ、すまない。無意識に、触ってしまって……」
「私こそ、驚いちゃってすみません。あまり、こういうことはなれていなくて……」
再び、二人の間で沈黙が流れる。
それは先ほどより少し気まずくて、互いにどうにか打開したいと考える。もう、自分がさっさと勇気を出してしまえばいのだ。
アリアは一世一代の勇気を振り絞り、リントに声をかける。
そして同時に、リントもアリアへ声をかけた。
「あの、リントさん!」
「アリアさん、俺……っ」
「あ……っ」
理由は、昼間の卵焼き失敗事件だ。今までこんなミスをしたことがなかったので、ひどく落ち込んでいるのだ。
カミルがどうにか声をかけて元気づけようとしてみたが、その相槌もどこか上の空。
「シャルル、アリア大丈夫かな? 心配だよ……」
「うぅ~ん。かくいう私も、アリアが手慣れた料理で失敗したのは初めて見ました」
「初めて、かぁ」
確かにそれはショックだねと、カミルが頭をかく。どうにかして元気づけてあげたいのだが、その方法がわからない。
「こらこら、二人とも。そういうときは、少しそっとしておいてあげるのがいいんだよ!」
「母さん」
「エマさんっ! でも、何もしてあげられないのは辛いです」
人生経験の一番豊富なエマが、大丈夫だよと言って厨房にある椅子に座っているアリアを見る。
自分の部屋に閉じこもってしまったらさすがに心配するが、皆が自由に出入りできて、アリアの大好きな料理を作る場所にいるのだ。
「きっと、すぐに立ち直るさ。今はそっとしておいてあげよう」
「……わかった」
「はい」
シャルルとカミルはエマに背中を押され、自室のある二階へと上がっていった。
店舗スペースに残ったのは、アリア一人だ。
「…………」
ぼんやりと調理台を見つめながら、アリアはいろいろなことを考える。
そもそも、どうしてあんな凡ミスをしてしまったのだろう? 単純に疲れが溜まっていて、注意力が散漫になってしまっていたのだろうか。
それとも、もっと別の理由があっただろうか。
料理に集中、なんて言いながら――あのときアリアの頭の中は、リントのことでいっぱいだったのだ。
本当に皇帝陛下なのかなとか、どうしてこんな頻繁に来てくれるのだろうとか。気になって仕方がなくなってしまった。
「うぅ、全部リントさんのせいだよ……」
もし本当に皇帝であるのなら、結婚できる望みがあるのだろうか。
なんて考えが、アリアの脳裏に浮かぶ。
「って、だからリベルト陛下に結婚の意志はないのに」
きっとリントがアリアの料理を食べて笑顔になってくれたから、思わず期待してしまうのだ。
アリアは大きく息を吸い込んで、深く深呼吸をする。それを何度か繰り返して、ドキドキしていた心臓を落ち着かせる。
――よし。
ぺちんと自分の頬を叩き、アリアは気合いを入れる。
このままぼおっとしていたらみんなに心配をかけてしまう。
「シャルルたちに、もう大丈夫って伝えよう――ん?」
それぞれの部屋がある二階へ行こうとしたとき、アリアの耳にコンコンとドアを叩く音が聞こえた。もう閉店しているけれど、お客さんだろうか?
もしかしたら、忘れ物をしたりしたのかもしれないと思い、警戒せずにドアを開く。すると、そこにいたのはずーっとアリアの心をかき乱しているリントだった。
「――っ!!」
「よかった、アリアさんいてくれて。少しだけ、散歩をしないか?」
「えっと……」
突然の誘いに、どう返事をしたらいいのか戸惑う。
王女であるアリアは、今まで男性と二人で出かけたことがないのだ。カミルと市場まで仕入れに行きはしたけれど、あれは仕事なのでノーカウント。
落ち着いていたはずの心臓が、とくんとくんと、静かに……けれどはっきりと、そのリズムを早くしていく。
「その、出かけるときは危ないから一人じゃ駄目ってシャルルに言われてて」
「ああ……確かに、シャルルさんは強かったね。いちゃもんを付けてた男を倒した体術は、見事だった」
シャルルがクレーマーの男を倒し、お客さんたちからも絶賛されたのはまだ記憶に新しい。あの後、カミルのシャルルに対する接し方が少し丁寧になっていたのは笑ってしまったけれど。
リントはシャルルがいないことは不安かもしれないけれど、と前置きをしてから口を開く。
「今は俺が必ず守るから。……それじゃあ、駄目か?」
「あっ、ええと……」
「俺じゃ、アリアさんを守るには頼りない?」
少し寂しそうなリントの口調に、アリアは思わず首を振る。
狼の群れと戦い、魔法すら扱うリントが頼りないわけないのだ。シャルルもリントとローレンツはとても強いと褒めていたので、その腕前がすごいことはわかっている。
すぐに否定したアリアを見て、リントは「行こう?」ともう一度誘う。
「……少しだけ、なら」
「決まりだ」
***
リントはアリアを連れだして、大通りを挟んで反対側にある公園へとやってきた。
噴水近くのベンチに座り、二人の間に少しだけ沈黙が流れる。
「……俺に言われるのはあれかもしれないけど、アリアさん、何かあった? 昼間、どこか辛そうにしてたから」
「あ……!」
「何か嫌なことでもあったのかと思って。まあ、俺に話せることじゃないかもしれないけどさ。少しでも落ち着けたらいいなと思って」
いったい何の用事だろうと警戒していたアリアだったが、リントは純粋にアリアのことを心配して連れ出してくれたようだ。
料理を失敗するほど、落ち込むようなことがあったのでは? と、ずっと気にしてくれていたらしい。
「昼間はアリアさんと話しができなかったからね。強引でごめん」
「いえ。気遣い、ありがとうございます」
――まさか、リントさんが皇帝か気になっていたなんて言えないよ……!!
心をかき乱す元凶が隣にいて、さらに自分のことを心配してくれている。
「ジェーロはどう? 不自由とかはない?」
「はい、よくしてもらっていますから。来る前は治安がよくないっていう噂もあって不安だったんですけど、良い人ばかりで」
「そうか」
たまにいちゃもんをつけてくるお客さんがいるくらいで、後はみんな優しくしてくれる。
「それに……」
「うん?」
――リントさんも、食べに来てくれますから。
というのは、さすがにちょっとストレートすぎるだろうか。と、言いかけた言葉を引っ込める。
来たら落ち着かないけれど、来なかったら寂しいと感じてしまう。
なので、来てくれたらとても嬉しいのだとアリアは思い――はたとする。
――え、待って待って。これじゃあ、私がまるでリントさんのことを――……。
自覚をしたら、一気に顔が熱を持ち始めた。
アリアの頭の中には、どうしようという五文字がぐるぐるしている。つい今さっきまで平気だったこの状況が、火を噴くように恥ずかしく思えてしまう。
「えと、その……ひゃっ!!」
「――っ!」
何か答えなければと慌てていたアリアの小指に、リントの小指が触れて思わず体が跳ねる。二人してベンチに手を置いていたので、どうやら偶然触れてしまったようだ。
ドッドッドッと急にうるさくなった心臓をどうにかしたくて、アリアはその場で下を向く。
――どうしよう。リントさん、きっと困惑してるよね?
また落ち込んでいると思われているかもしれない。
自分の恋に気付いてしまったのだから、もういっそ告白でもしてしまおうか。なんて思い、自嘲めいた笑みが零れる。
――私はエストレーラの王女で、ジェーロの王妃になるためにここへ来たんだ。
リントが皇帝だという可能性は高いが、絶対ではない。
そんなあやふやな状況で、気持ちを伝えられるはずがないのだ。王女としての品もなければ、義務を放棄するような最低女だと思われてしまうだろう。
「すまない、ぶつかってしまって。大丈夫か?」
「! 大丈夫です。私こそ、急に俯いてしまってすみません……」
「別に気にしなくていい。アリアさんが思っている以上に、体が疲れているのかもしれないな」
リントはそう言って、アリアの茜色の髪を優しく撫でる。
「……っ!」
「え? あ、すまない。無意識に、触ってしまって……」
「私こそ、驚いちゃってすみません。あまり、こういうことはなれていなくて……」
再び、二人の間で沈黙が流れる。
それは先ほどより少し気まずくて、互いにどうにか打開したいと考える。もう、自分がさっさと勇気を出してしまえばいのだ。
アリアは一世一代の勇気を振り絞り、リントに声をかける。
そして同時に、リントもアリアへ声をかけた。
「あの、リントさん!」
「アリアさん、俺……っ」
「あ……っ」