そしてあなたと風になる
出会い
風が気持ちいい。桜がほころび始めたというのに冷たすぎる風に身を切られそうだった先月とはうって変わって、首や足元をくすぐる風を心地よく感じる。

諏崎まひる(27)♀は、昨夜の夜更かしのせいで二度寝をしてしまい、約束の時間に間に合わないかも、と少し慌てていた。

愛車である400ccバイクのマフラー音を響かせ、通いなれた道をまっすぐ走っていた。海を見おろす単調な坂道。前を行く黒塗りのハイブリットカーは慎重なほどに安全運転だ。

『もう少しスピード出してもいいのに』

まひるのバイクに煽られているように感じたのか、その車は左にウィンカーを出して追い越すように促した。

『そろそろカーブだけど、数百メートルは直線だから大丈夫かな。』

まひるは中央斜線に寄り、前方に対向車がいないことを確認した。ウィンカーを右に出して追い越しを開始、黒塗りの車の横を通過する際、ピースした右手をゆっくり上げて感謝の意を示した。そしてゆっくりとアクセルを回して加速…。

『よし、追い越し完了、遅刻は免れそう』

まひるがホッと息をついた次の瞬間、数百mほど前方に小さな生き物が飛び出してきたのが見える。

『ね、ねこ?』

そのまま反対側の舗道まで走り抜けてほしい、という思いも虚しく、子猫はバイクのマフラー音に怯え、左車線の中央でかたまってしまった。

ハンドルを左に切る?生憎そこは砂利道。バイクが停車するには最も不適な場所だった。

"飼い主のいない動物を跳ねても物損事故扱い"

そんな事は頭でわかっていても、動物好きのまひるが動物の殺傷事故を起こして平気なはずはない。

まひるは一瞬戸惑いながらも後方の車に知らせるようにクラクションを鳴らす。そして意を決したようにハンドルを左に切った。ブレーキの音とタイヤが擦れる音が響く,,,。

投げ出されたまひるの体と横転したバイクが数メートルスライドして停止した。

「大丈夫ですか?」

車間距離を保っていたため事故に巻き込まれずにすんだ黒のハイブリットカーから二人の男性が飛び出してきた。
二人とも長身で高級そうなスーツを着込んでいる。眼鏡をかけた運転手らしき男性がまひるを引き起こそうと右手を差し出した。なかなかのインテリイケメンだ。いやいや,,,。

「あっ、猫は」

ハイブリットカーに同乗していたらしいもう一人の男性が子猫を抱いてまひるに近づいてきた。無言で猫を差し出す,,,。まひるはフルフェイスヘルメットのシールドをあげ、子猫の無事を確認すると微笑みを浮かべた。子猫を撫でようと手をのばそうとしたが,,,。
横たわるまひるのバイクに気づいた後続車がブレーキを踏んで停車したことに気付き慌てて走り出した。

+++++++

「ご迷惑をおかけしました 。車は大丈夫ですか?」

ハイブリットカーはすでに道路脇の駐停車エリアに移動していた。眼鏡でないほうの男性はまだ子猫を抱いている。
まひるは、ウインカー部分が欠けた愛車を押して二人の男性に近づいた。スタンドを倒して愛車を停める。

「もとはといえば、私が追い越しするように誘導をかけたのが原因です。急いで追い越しをかけなければ転倒せずにはすんだかもしれないのに。お怪我はありませんか?」
眼鏡男性が眉間にシワを寄せ心配そうな表情を浮かべながら丁寧にお辞儀をした。

「いえ、カーブに差し掛かるとわかっていたので減速してましたし、視力はいいので動物がいるのも早めにわかりました。」

まひるは衣類に付いた砂ぼこりをはたきながら照れ臭そうに続けた。

「実は以前にも砂利のところでブレーキをかけて転んだことがあるんです,,,。だから前もって受け身もとれましたし、ライダースーツを身に付けてたので怪我もほとんどありません。お気遣いありがとうございます。」

バイクから離れ、ゆっくりと子猫を抱いた男性に近づいて手をのばし

「この子も無事でよかった。」

と微笑むまひるの笑顔に引き寄せらせれるように男性の瞳が開くのがわかった。

「ごめんなさい。近すぎましたね」

まひるが手を引っ込めると、男性は戸惑うようにつぶやいた。

「女性、だったん,,,ですね。」

まひるは細身で168cmとやや長身である。ヒップのラインが細いので、ジーンズをはくと男性的だとよく言われる。
何かにはっと気づいたように、まひるはヘルメットを外した。肩甲骨辺りまで伸びたストレートのブラウンヘアが風になびいた。

「ヘルメットも脱がずに失礼しました。」

まひるが男性に挨拶をしようとした瞬間、胸ポケットに入れていたスマホの着信音が響いた。

『まひるさん、どこにいるんですか?まさかまだ家とか言いませんよね⁉』

同じ会社に勤める神田晴斗からの電話だった。

そうだ、これから社運を決める大事な約束があったんだった。本格的にヤバイ,,,。

「ごめん、もう近くにいるんだけどトラブルがあって。すぐ行くから待ってて!」

スマホの通話を切ると、まひるは子猫を抱く男性に向き合った。

「お詫びをしなければならないのですが、これから会社で、急ぎの約束が入ってまして,,,。それで、これを,,,。」

まひるは、スマホケースのカード入れに挟んでいた名刺を取り出して男性二人に差し出して早口で言った。

「後で連絡して頂ければこちらからお礼に伺います。それと、その子猫のことなんですが…。」

「諏崎…まひるさん、ですか?諏崎デザイン工房,,, 社長,,,?」

まひるが言い切る前に眼鏡運転手が名刺を読み上げた。

「ええ、まあ、小さな会社で恥ずかしいんですけど、そんな肩書きがついてます。ところで、その子猫のことなんですが,,,。」

なおも子猫について言及しようとするまひるに対し眼鏡運転手が「ああ」と微笑んで言った。

「飼うにしても、飼い主を探すにしてもここに置いておくわけにはいきませんね。しかしあなたのバイクにのせることはできない。」

「はい」

まひるはしょんぼりとうつむいたあと上目遣いで二人を見上げた。

「私たちが今から向かう場所も、あなたの会社と同じ方向ですよ。子猫もお連れしましょう。」

眼鏡運転手の瞳がなぜか意地悪そうに光るのが見えた。違和感を感じつつも、追及している暇はない。

急がなければならないことには変わりないのだ。

「ありがとうございます。じゃあ、私の会社の前で子猫を引き取るということでよろしいでしょうか?」

安心した様子のまひるに対し、無表情だが、なぜか困惑したような表情で子猫を抱く眼鏡なしの男性が「ええ」と答えた。

「それでは後程」

まひるは長い髪をねじりあげてヘルメットに押し込めるとシールドを下げて愛車に近づいた。

バイクを駐停車エリアに移動する際にエンジンがかかることや、オイル漏れ・電気系統の異常がないことを確認した。

ウインカーは欠けてしまったけどこのくらいですんで良かった。

『やっぱり砂利ブレーキは転ぶのね』

わかりきった事実だが、誰も犠牲にならずにすんだことにホッとしながら、まひるはバイクにまたがった。

ブレーキを握ってエンジンをかけ、ゆっくりとアクセルの回転数を確かめる。

そして後方の黒いハイブリットカーに発進の合図をすると、再びまひるは風を受けて走り出した。


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