記憶喪失の君と、君だけを忘れてしまった僕
20.ドラッグストアでの出会い
 僕は普段風邪を引かないから、家に薬というものを常備していない。本当ならすぐにドラッグストアに買いに行って飲ませるべきだったのだけど、華怜を一人にすることの方が心配で外に出ることをしなかった。
 熱が下がってきているとはいえ、まだ三十八度台だ。
 風邪が長引くのもよくないし、なるべく薬は飲ませたほうがいいだろう。
 華怜も幾分落ち着いてきたから、ドラッグストアに行ってくると提案したけれど、しかし首を縦には振らなかった。代わりに手を握って、
「ここにいてください」
 と、甘えてくる。
「風邪、治るの遅くなるよ?」
「公生さんがいなくなる方が、風邪の治りが遅くなります」
 どういう理屈だと呆れてしまったけれど、華怜は僕を必要としてくれているのだ。それは素直に嬉しい。
「ちょっとだけだから」
「ちょっとでもダメです」
「じゃあ、一緒に行く?」
「行きます」
 おぶっていくからそれほど華怜の負担にはならないだろうと思い、彼女の意思を尊重して連れて行くことにした。パジャマの上から厚着をしてもらい、用意が出来てから背中におぶる。
 公園から家に運ぶ時も感じたけれど、彼女はびっくりするほど軽かった。女の子はみんな、こんな感じなのだろうかと、彼女を背負いながらふと思う。
「重くないですか?」
「全然」
「ほんとですか?」
「重いって言ってほしいの?」
「重いなら、頑張って痩せますから」
 その健気さに僕はクスリと笑う。熱はあるけれど、表面上はとても元気だった。
「華怜は、そのままでいいよ」
「わかりました」
 嬉しかったのか、頬を僕の後頭部に擦り寄せてくる。華怜は甘え上手だ。
 彼女を背負ったまま部屋の外へ出て、繁華街の方へと歩いた。もう日は落ち始めていて、辺りは薄暗闇に満ちている。住宅街の片隅に設置されている街灯が、人知れず点灯した。
「寒くない?」
「あったかいです」
「それならよかったよ」
 しばらく住宅街を歩くと、ポツリと華怜は呟いた。
「ここら辺も、ずいぶん変わっちゃったんですね」
 どこか昔を懐かしむ声色だった。
「華怜は、昔ここら辺に住んでたの?」
 なぜか返答に間があって、十秒後ぐらいに「まあ、そんな感じです」という曖昧な返答を返す。
「昔、タイムカプセルを埋めたんですよ」
 また、ポツリと呟いた。
「へぇ、なんかいいね、そういうの」
 僕は素直に感じた言葉を返す。タイムカプセルがあれば、たとえ離れ離れになっても、また同じ場所に返ってくることかできる。それはとっても素敵なことだ。
「良い思い出でした。中には手紙を入れたんです」
「そうなんだ。華怜は、なんて書いたの?」
「内緒です」
そう呟いた彼女の声は、涙声で震えていた。
「どうしたの?」と、僕は心配になって問いかける。
 おぶっていて表情は伺えないけれど、きっと泣いてしまっているのだろう。
「な、なんでもないです」
「なんでもないってこと、ないんじゃない?」
「ほんとになんでもないんです」
「なにか、悲しいことがあったの?」
 しばらくの間、返事は返って来なかった。だからどうしたのかと思い立ち止まると、ポツリと短い言葉が返ってくる。
「幸せなことです」
「本当に?」
「ほんとうです」
 それなら無理に心配することはないと思った。華怜が幸せを感じているなら、ましてやそれが嬉し涙であるのなら。
「眠っても、いいですか?」
「うん、ゆっくり眠りなよ」
「ありがとう、ございます……」
 お礼を言った華怜は、頭を僕の背中へと預けてきた。静かになると華怜の心臓を打つ音が、どくんどくんと伝わってくる。
 安らかな音だった。
 この音を真剣に聞いていると、僕まで眠くなってきそうだから、かぶりを振ってドラッグストアへ向かう足を速めた。
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