記憶喪失の君と、君だけを忘れてしまった僕
35.環境の変化
 新しい僕らの部屋は、前に住んでいたアパートから少しだけ離れた場所にある。わりと最近に建てられた新築のマンションで、少し贅沢かなと思ったけど華怜が伸び伸び過ごせればと思いそこに決めた。

 それに、マンションから出ればすぐ目の前に小さな公園がある。華怜がもう少し大きくなったら、休日はそこで遊べればいいねと茉莉華が話していた。

 最初のうちは突然の環境の変化に戸惑って慣れるか心配だったけど、そんな心配は杞憂だった。畳がフローリングに変わったのはちょっと落ち着かないけど、茉莉華と華怜さえそばにいればどんな場所でも落ち着いた空間になる。

 でもたまに、座布団がちょっと恋しいなと思うことがある。時代が進むにつれてそういうものがなくなっていくと思うと、ちょっと悲しい。
 きっと華怜は、座布団を知らずに生きていくんだと思う。

 キッチン周りは茉莉華が苦戦していた。今まで実家でもアパートでもガスコンロを使用していたから、電磁調理器はだいぶ落ち着かないらしい。

 というのも、茉莉華は機械系に少し弱いらしく、僕の手助けなく使えるようになるのに少しだけ時間がかかった。

 最初のうちはその平べったい調理器具を見て「こんなので料理ができるの?!」とも驚いていた。それから「なんでこんなにボタンが多いの?! ガスコンロならひねるだけで点火するのにっ!!」と大声で不満を漏らして、そばにいた華怜を「うあーー!! うあーーー!」と泣かせてしまうことがしばしば。

 そのたびに僕は華怜のことをあやして、茉莉華も「ごめんね、ごめんね……」と必死に謝っている。それは新婚夫婦みたいでちょっと面白かった。

 華怜が二歳になる頃には拙いながらも短い言葉を話せるようになっていて、よく食事終わりに「パパー!」と言って抱きついてくることが増えてきた。もちろん茉莉華に抱きつくこともあるけど、比較的僕の方が回数は多い。

 それがちょっと不満なのか、ベッドで三人川の字で眠っている時に唇を尖らせていた。不安でもあったらしい。

「私、華怜に愛されてないのかな……」

 今はスースー寝息を立てながら、僕と茉莉華の間で眠っている。僕はそんな華怜の頭を撫でてあげた。

「華怜は茉莉華のことが大好きだよ。だって茉莉華が風邪で寝込んでる時、華怜がすっごく不安げな顔で『ママ、ママだいじょーぶ……?』って言ってたから」

 茉莉華はそれだけで安心したのか、隣にいる華怜の頭を笑みを浮かべながら撫でてあげた。茉莉華はすごく単純だ。

「もっともっと、元気な女の子に育つといいね」
「茉莉華みたいな元気な子に育つよ」
「公生くんみたいな優しい子にもなってほしいね」

 華怜のほっぺたをつつくと、むにゅむにゅとこしょがしそうに頬を緩めた。それにくすくす笑いあっていると、華怜は寝ぼけながら「ぱぱー、だいすき……」と言ってくれた。

「えっ、ママは? ママは?」

 戸惑いながら眠っている華怜に問いかける茉莉華が面白くて、僕は思わず笑みをこぼす。華怜も眠りながら微笑んで「ままも、だいすき……」と呟いた。

 ほら、やっぱり華怜に愛されてるじゃないか。

 安心した茉莉華は華怜の頬へキスをして、それから三人で仲良く眠った。
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