記憶喪失の君と、君だけを忘れてしまった僕
38.近代化の波
 五歳になった華怜のお祝いの一環として、いつものメンバーでお花見に行くことになった。城下町の方は桜が満開だからということで、バスに乗って向かうことになる。

 つり革を持ちバスに揺られながら、僕はお花見以外のことを頭の中で思い浮かべていた。それはいつからか起きるようになったデジャブのことで、なぜか今この瞬間もそれが発生している。

 城下町へバスに揺られながら向かったことは何度もあるけど、それが理由ではない気がする。

 考えていると、茉莉華に顔を覗き込まれていた。奈雪さんも、僕のことを心配そうな目で見ている。

「どうしたの、公生くん?」
「あ、うん。ちょっと考え事……」
「もしかして体調が悪いのか?」
「いえ、ほんとに大丈夫です。ただ……」

 僕は迷ったけど、話しておくことにした。茉莉華もデジャブを感じることがあったから、もしかすると同じ気持ちを感じているかもしれない。

 そう思って今感じていることを話してみたけど、茉莉華は首をかしげるだけだった。

「私は、今はそんなこと感じないけどなぁ」
「公生くんの勘違いじゃないのか?」
「そうなんですかね……」

 僕はふと、座席に座っている華怜を見た。窓の外を思いつめた風に眺めていて、本当は来たくなかったんじゃないかと心配する。

 隣に座っている公介くんも、そんな華怜を見て不安そうな表情を浮かべていた。

「華怜、どうしたんだ?」
「ん? なーに?」

 僕が話しかけると、口元に笑顔が浮かんだ。

「楽しみじゃなかった?」
「んーん、たのしみだよ」
「じゃあ、もしかして何かあった?」

 桜を見に行くと決めた時は、ご近所迷惑なほど騒いでいたのに、今は楽しくなさそうだ。

 華怜は窓の外を指差して、またつまらなそうに言う。

「だって、おそとたのしくないんだもん。おなじたてものばかりでつまんなーい」

 そう言われて、僕は窓の外を見た。華怜の言っていることがなんとなくわかった気がする。

 ここ数年、住宅地の方にも近代化の波がやってきた。
 公園はだんだんと無くなっていき、一時期より高層マンションが増えている。

 木造の家を建て替える人たちも増えてきて、昔ながらが失われつつあった。この光景は繁華街の方へ向かえば向かうほど顕著になる。

 華怜を遊ばせるときはなるべく外へ連れて行ったから、おそらく一般的な子供より自然と多く触れている。

 そのせいで、感性が僕たちと似ているのかもしれない。僕も、こういった無機質な風景はつまらないと思うから。

 だけど都市化が進んでも、変わらない風景はある。

 僕は華怜を笑顔にさせるために、それを教えてあげた。

「これから行くところはとっても楽しいところだから、きっとたくさん驚くと思うよ」
「ほんとっ!?」
「ほんとほんと、だから楽しみにしててね」
「うんっ!」

 華怜が微笑んだのを見て、公介くんも小さく笑顔を浮かべた。

「公介くんも、楽しい?」
「うん、楽しい」
「華怜がバスの中ではしゃいだりしないように、見張ってもらっていいかな?」
「わかったよ」

 公介くんは華怜と比べてだいぶおとなしい。先ほどから華怜の隣で固まったようにジッとしている。

 だけどそれは、性格的な部分だけじゃないんだろう。側から見ていればすぐにわかるけど、公介くんは華怜のことが好きなのだ。

 華怜がつまらなそうにしていれば、公介くんは不安げな表情を浮かべるし、嬉しそうにしていれば公介くんも笑顔になる。

 ただ、ちょっと内気なところがあるから、それが華怜に伝わっているのかは分からない。

 やがてバスは城下町付近を走り始め、ピンク色の景色が増えてくる。その頃になると、華怜は窓に手をつきながらはしゃぎ始めた。

「コウちゃんコウちゃん」

 華怜は公介くんの服の袖を引っ張りながら、興奮した面持ちで外を見ている。
顔を赤らめながら「どうしたの?」と聞いた。

「ピンクピンク! ピンクばかりだよ!」
「さくらっていうんだよ」
「さくら? へー!」

 それから先ほどの僕の言葉を思い出したのか、公介くんは意を決したように華怜のことを見る。

「ねえ、カレン」
「どうしたの?」

 チラと華怜は振り向いて、公介くんは慌てて顔をそむけた。僕はそれを優しい目で見守っている。

「バスの中は静かにしないと……」

 茉莉華も華怜の方を見て、口元に人差し指を近付けた。静かにしなさいよという合図だ。それを受け取った華怜は、口元を両手で押さえて首を縦に振る。

 静かに華怜が外の景色を眺めていると、公介くんはホッと胸を撫で下ろした。
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