記憶喪失の君と、君だけを忘れてしまった僕
41.将来の自分へ
家への帰り道を、華怜と手を繋ぎながら歩く。こういうのも一度やってみたかったことで、だけど華怜は恥ずかしさで顔を赤くしながらプンプンしていた。
友達に将来の夢をバラされたことを根に持っているらしく、あとはその夢の内容を僕に知られてしまって、とても恥ずかしいようだ。さすがに僕は、少し時間が経ってから冷静になることができた。
「華怜、機嫌なおしなよ」
「ゆかちゃんなんてしらないっ!」
「友達のこと、そんな風に言ったらダメだぞ?」
「だって、ないしょだっていったのに……!」
僕は小さく微笑みつつ、すぐに華怜の後ろへ回って持ち上げた。
突然浮き上がったのにびっくりして、華怜は「わわわ!」と言いながら足をバタつかせる。
「でも、お父さん嬉しかったよ。華怜がお嫁さんになるって言ってくれて」
バタバタしていた華怜が大人しくなった。僕はそれに安心しつつ、そのまま歩き始める。
「おとーさん、およめさんになってくれるの……?」
「ん、華怜が結婚出来る年齢になった時に、それでもまだ結婚したかったらね」
世間一般のお父さんならこう言うだろうと思い、模範解答を答えた。
すると腕の中の華怜は身体をそらし、真上を見ながら僕の表情をうかがってくる。びっくりするほど顔が赤くなっていた。
「ほんとに? おとーさん、ほんと?」
「ほんとだよ」
「ぜったいのぜったいだよ?」
「絶対の絶対」
そう言うと華怜は安心したのか、大きな声で歌を歌い始めた。
たぶんお遊戯会で歌う曲なのだろう。僕がそれを「華怜はほんとに歌が上手だなぁ」と褒めてあげると「えへへ、おとーさんにほめられたぁ!」と元気よく笑ってくれた。
それからしばらく歩いていると、華怜は歌うのをやめて僕に質問してきた。
「おとーさんって、しょーらいなにになりたいの?」
「えっ、お父さん?」
「おとーさん」
将来何になりたいかと聞かれても、もうすでに大人になっている。仕事でもっと上の役職に就きたいとか、老後は安心して暮らしたいとか言っても、華怜は面白くないだろう。
というか、何を言ってるのかさっぱり分からないと思う。
だから僕は、子どもの頃になりたかったものを思い浮かべていた。幼稚園、小学校、中学校、高校と思い浮かべていって、ようやく初めて夢が出来た時のことを思い出す。
それは、志半ばに挫折したものだった。
その夢を、僕はぽつりと呟く。
「子どもの頃は、作家になりたかったんだよ」
「さっかー? ぼーるになりたいの? いたいよ?」僕はくすりと笑う。
「違う違う。作家だよ、小説家」
「しょーせつか?」
「お母さんが、たまに本を読んでるでしょ?」
「じゃあ、ごほんになりたいの?」
「そうじゃなくて、ご本を書く人かな。そういう人に、なりたかったんだよ」
懐かしい青春の頃の思い出だった。あの頃は無我夢中で、ただそれだけを目指して努力していた。だけどそれは実らなくて、また別の幸せを手に入れた。
その手に入れた別の幸せは、小説家になるという夢より遥かに心温まるもので、同時に華怜という大切な女の子を連れてきてくれた。
後悔は無いとあの頃は思っていた。だけど、それを思い出してしまった今、また何かを忘れてしまっている感覚に取り憑かれた。僕はいったいどうしてしまったというのだろう。
「おとーさん、ごほんかかないの?」
「書かないというより、書けないかな。もう諦めちゃったから」
全然悲しくなんてないはずなのに、僕は声が震えてしまっていた。もう僕は、ずいぶん前に諦めてしまったのに。
「おとーさん、だいじょーぶ……?」
心配した華怜がまた僕を覗き込んでくる。僕は一度華怜を地面に下ろして、それから肩車をしてあげた。さっきと同じく華怜は「わわわ!」と驚く。
今は出来るだけ、思い出したくなかった。
「よーし華怜、たかいたかーい!」
「たかいたかーい!」
きゃっきゃとはしゃいでくれて、僕も気を紛らわすことができた。
僕は夢を諦めたのだ。
だからもう、そういうことはできるだけ考えたくない。
「おそらにてがとどきそうだね!」
「華怜がもっと大きくなったら、もしかすると届くかもな」
「ほんと?! やったー!」
僕らは元気よく家へと帰り、お風呂へ入ってから茉莉華の作ってくれたご飯を食べた。それから三人川の字で横になり、二人の寝息が聞こえてきた頃に起き上がって、思いついたように僕宛の手紙を書いた。
僕は、どうしてそれを書こうと思ったのかわからない。ほんの気まぐれかもしれないし、魔が差したのかもしれない。
『将来の自分へ。
僕は今、とっても幸せです。子どもの頃は結婚なんてできないと思っていたけど、今は幸せな家庭に恵まれて、楽しく暮らせているからです。
僕ら三人はとても仲が良いから、おそらく何年後の未来でも笑いあっていることでしょう。
でも一つだけ、今の自分にも叶えられなかったことがありました。
子どもの頃に目指した小説家という夢です。
志半ばに挫折して、今まですっかり忘れていた夢をどうしてここに書こうと思ったのかはわかりません。
ただ、将来なりたい自分は何かと考えて、僕にはそれしか思い浮かびませんでした。
もうとっくの昔に諦めたのに、変ですよね。
もしあなたがこの手紙を読んでいる時、僕が小説家になれていたら、今の自分を誇ってあげてください。
でも、小説家になれていなかったとしても、責めないであげてください。どちらにしても、幸せなことには変わりありませんから。
では、明日はもう早いのでこれぐらいにしておきます。いつまでも、三人そばにいられますように。
小鳥遊公生
友達に将来の夢をバラされたことを根に持っているらしく、あとはその夢の内容を僕に知られてしまって、とても恥ずかしいようだ。さすがに僕は、少し時間が経ってから冷静になることができた。
「華怜、機嫌なおしなよ」
「ゆかちゃんなんてしらないっ!」
「友達のこと、そんな風に言ったらダメだぞ?」
「だって、ないしょだっていったのに……!」
僕は小さく微笑みつつ、すぐに華怜の後ろへ回って持ち上げた。
突然浮き上がったのにびっくりして、華怜は「わわわ!」と言いながら足をバタつかせる。
「でも、お父さん嬉しかったよ。華怜がお嫁さんになるって言ってくれて」
バタバタしていた華怜が大人しくなった。僕はそれに安心しつつ、そのまま歩き始める。
「おとーさん、およめさんになってくれるの……?」
「ん、華怜が結婚出来る年齢になった時に、それでもまだ結婚したかったらね」
世間一般のお父さんならこう言うだろうと思い、模範解答を答えた。
すると腕の中の華怜は身体をそらし、真上を見ながら僕の表情をうかがってくる。びっくりするほど顔が赤くなっていた。
「ほんとに? おとーさん、ほんと?」
「ほんとだよ」
「ぜったいのぜったいだよ?」
「絶対の絶対」
そう言うと華怜は安心したのか、大きな声で歌を歌い始めた。
たぶんお遊戯会で歌う曲なのだろう。僕がそれを「華怜はほんとに歌が上手だなぁ」と褒めてあげると「えへへ、おとーさんにほめられたぁ!」と元気よく笑ってくれた。
それからしばらく歩いていると、華怜は歌うのをやめて僕に質問してきた。
「おとーさんって、しょーらいなにになりたいの?」
「えっ、お父さん?」
「おとーさん」
将来何になりたいかと聞かれても、もうすでに大人になっている。仕事でもっと上の役職に就きたいとか、老後は安心して暮らしたいとか言っても、華怜は面白くないだろう。
というか、何を言ってるのかさっぱり分からないと思う。
だから僕は、子どもの頃になりたかったものを思い浮かべていた。幼稚園、小学校、中学校、高校と思い浮かべていって、ようやく初めて夢が出来た時のことを思い出す。
それは、志半ばに挫折したものだった。
その夢を、僕はぽつりと呟く。
「子どもの頃は、作家になりたかったんだよ」
「さっかー? ぼーるになりたいの? いたいよ?」僕はくすりと笑う。
「違う違う。作家だよ、小説家」
「しょーせつか?」
「お母さんが、たまに本を読んでるでしょ?」
「じゃあ、ごほんになりたいの?」
「そうじゃなくて、ご本を書く人かな。そういう人に、なりたかったんだよ」
懐かしい青春の頃の思い出だった。あの頃は無我夢中で、ただそれだけを目指して努力していた。だけどそれは実らなくて、また別の幸せを手に入れた。
その手に入れた別の幸せは、小説家になるという夢より遥かに心温まるもので、同時に華怜という大切な女の子を連れてきてくれた。
後悔は無いとあの頃は思っていた。だけど、それを思い出してしまった今、また何かを忘れてしまっている感覚に取り憑かれた。僕はいったいどうしてしまったというのだろう。
「おとーさん、ごほんかかないの?」
「書かないというより、書けないかな。もう諦めちゃったから」
全然悲しくなんてないはずなのに、僕は声が震えてしまっていた。もう僕は、ずいぶん前に諦めてしまったのに。
「おとーさん、だいじょーぶ……?」
心配した華怜がまた僕を覗き込んでくる。僕は一度華怜を地面に下ろして、それから肩車をしてあげた。さっきと同じく華怜は「わわわ!」と驚く。
今は出来るだけ、思い出したくなかった。
「よーし華怜、たかいたかーい!」
「たかいたかーい!」
きゃっきゃとはしゃいでくれて、僕も気を紛らわすことができた。
僕は夢を諦めたのだ。
だからもう、そういうことはできるだけ考えたくない。
「おそらにてがとどきそうだね!」
「華怜がもっと大きくなったら、もしかすると届くかもな」
「ほんと?! やったー!」
僕らは元気よく家へと帰り、お風呂へ入ってから茉莉華の作ってくれたご飯を食べた。それから三人川の字で横になり、二人の寝息が聞こえてきた頃に起き上がって、思いついたように僕宛の手紙を書いた。
僕は、どうしてそれを書こうと思ったのかわからない。ほんの気まぐれかもしれないし、魔が差したのかもしれない。
『将来の自分へ。
僕は今、とっても幸せです。子どもの頃は結婚なんてできないと思っていたけど、今は幸せな家庭に恵まれて、楽しく暮らせているからです。
僕ら三人はとても仲が良いから、おそらく何年後の未来でも笑いあっていることでしょう。
でも一つだけ、今の自分にも叶えられなかったことがありました。
子どもの頃に目指した小説家という夢です。
志半ばに挫折して、今まですっかり忘れていた夢をどうしてここに書こうと思ったのかはわかりません。
ただ、将来なりたい自分は何かと考えて、僕にはそれしか思い浮かびませんでした。
もうとっくの昔に諦めたのに、変ですよね。
もしあなたがこの手紙を読んでいる時、僕が小説家になれていたら、今の自分を誇ってあげてください。
でも、小説家になれていなかったとしても、責めないであげてください。どちらにしても、幸せなことには変わりありませんから。
では、明日はもう早いのでこれぐらいにしておきます。いつまでも、三人そばにいられますように。
小鳥遊公生