異邦人
「もういいだろ、そんなこと」と言うと「なんで木原さんはいつも増田くんばっか誘うんだろうね」と言ってきた。
「そんなの知らないよ」とそっけなく言うと橋本は何も言い返して来なかった。そんなこと俺が知りたいよ。と喉まで出かかった言葉を飲み込むと俺は木原さんの手を握った右手を見返した。彼女の手の感触がまだ残ってるような気がした。頬を赤らめた彼女の顔、先ほどのやり取りを思い出すとまた鼓動が騒ぎ出し、体中が熱を帯び始めた。俺はあの時、小さく大人しくなった無防備な彼女を抱きしめたくなった。力強く抱いて俺のものにしたくなった。
俺は、木原さんを目で探した。彼女は、歌を終え上機嫌になったマネージャーに向かって拍手をしてるところだった。何事もなかったかのように彼女は陽気に笑っていた。
 
 木原さん・・・。俺は木原さんのことが好きです。どうして俺を見てくれないんですか。

 木原さんはマイクを持つとイントロに合わせてリズムを取り始めた。
「小鳥たちが空に向かい・・・両手を広げ・・・」
彼女が歌い始めると歓声が上がった。意外にも上手い彼女の歌声に俺はすぐ聞き入った。 「鳥や雲や夢までも・・・掴もうとしている。その姿は昨日までの何も知らない私」
 真剣に歌う彼女の顔を俺はまじまじと眺めた。今なら憚らず彼女を見ることが出来た。 「ちょっと振り向いてみただけの異邦人」

木原さんが歌い終わると「今度はお前が歌え!」と酔っ払った黒川係長に勧められ、俺は戸惑いながらも立ち上がった。「はい、どうぞ」と笑顔でマイクを渡してきた木原さんを見ながら「あ、はい」と言ってマイクを受け取った。俺は選曲をすると一気にテンションを上げた。
「ドーブネーズミみたいに、美しくなりーたい」歌い始めるとイイぞ、イイぞと声が上がった。「写真には写らない美しさがあるから・・・リンダリンダー!!」俺は弾けた。みんなが笑った!場が盛り上がった!俺は夢中になって歌った、叫んだ!木原さんに見せつけるために、格好悪いけど格好良い自分を見せるために大声で思いっきり歌い狂った。木原さん、俺を見てください!俺を!
俺は、横目で見ると合いの手を入れながら笑顔で俺の姿を見ている彼女が目に入った。俺は嬉しくて更に大声を張り上げた。「うるせーよ!」とヤジが飛ぶが気にしなかった。俺は完全燃焼した。
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