異邦人

「ねぇ、隣に座っても良い？」
不意に声をかけられその方を見上げるといつの間にか俺のそばに立っている木原さんが「良い？」と人を試すような微笑で聞いてきた。突然の出来事に一瞬何が起きたのか分からず驚いた俺だったが無理矢理に平静を繕うと「どうぞ」と言って軽く頭を下げ、そそくさとタバコの火を消した。彼女がお礼を言って俺の隣に腰掛けてると、俺は動揺を抑えるために酒を一口飲んだ。その際、花のようなふわっとした甘い香りが彼女からした。本意と逆らって益々緊張感が高まっていく俺はまた酒を一口飲むと頭を少し下げ「お疲れ様です」と言って彼女とは違う方向に視線を置いた。

「増田くんだっけ？」彼女が俺を覗き込むように聞いてきた。「増田です」俺は俯き加減のまま応えた。「私のこと知ってる？」と聞いてきたので勇気を振り絞って彼女の方を向くと「木原さん」と応えた。「あらやだー私のこと知ってるのねー」とオバさんっぽく言うので俺は思わず噴いた。「まぁ、同じフロアで働いてますから」と言うと彼女は「あぁ、そうだったねぇ」と言ってなぜか不敵な笑みを浮かべながら俺を見た。

今までに一度だってここまで遠慮なしに女性に見つめられることがなかった俺は、声も上擦ることなく、手も震えることなく、平常心を保ったままスムーズな会話が出来るようにすることだけで頭がいっぱいだった。ましてや相手の目を見ながら話をするなんて自爆するようなものだった。緊張のあまり、しどろもどろになって頭の回転が鈍くなり自分が何を話してるのかも分からくなるのがオチだ。それに、大して目立つわけでも格好良いわけでもないこの俺に彼女のような綺麗な人が隣に来て話しかけてくるのなんてまるで夢を見てるようで、彼女がなぜこうゆう行動を取るのか俺には理解が出来なかった。

「増田くんって草食系男子って感じだよねー。」
「あぁ、はぁ、まぁ良く言われます」
「ねぇ、増田くんって彼女とかいるの？」
「彼女ですか。え？」

突然の質問に驚いて思わず俺は木原さんを見た。彼女は別になんともなさそうな顔をして俺の方を見ていた。逆に俺の方が戸惑っていて恥をかかされてる気分だった。だから、そっけなく「別にいませんよ」と言うと「そうなんだぁ」と喜んでるようにでも社交辞令のようにでも取れる軽快な返事をしてきた。「ってか、なんでそんな質問してくるんですか？」少なくとも俺に興味を抱いてるはずなのにあまりにも彼女の態度に余裕があるため返って俺は不機嫌になり自分から反射的に質問していた。

彼女は、少し驚いた表情をすると今度はコロッと真面目な顔つきになって「なぜって。増田くんと仲良くなりたいからだよ」と言ってきた。仲良くって・・・。意味深な言葉の裏に何が込められているのか俺は分からなかった。木原さんのような素敵な女性に好意を持たれるのはすごく嬉しいことだけどどうして俺なんだろうという疑問が頭の中を支配して、素直に喜ぶことが出来なかった。ただ戸惑うばかりで反射的に「ああ、そうですか」と応えていた。だけど、そんな俺の気持ちを全く察していないのか彼女は笑顔を作ると「彼女がいないなら今度デートしてよ！連絡先教えて」と言って携帯を取り出した。彼女に言われるまま連絡先を教えるとそのまま「じゃ、今度連絡するからね！」と言って彼女は去ってしまった。一体なんだったのだろうか。

暫くして恐らくトイレから帰ってきたであろう木原さんは職場で一番大人しい高藤さんという女性に声をかけた。高藤さんは木原さんに声をかけられるまで、ずっと輪に入らずひたすら一人で携帯をいじって時間を潰しているようだった。高藤さんはメガネをかけた真面目な人で見た目にもあまり気を遣わないため、木原さんとは正反対の部類に思えた。だけど、木原さんは彼女を連れ出しみんなから少し離れた場所に移動するとそこに腰掛け二人が面と向かって話をし始めたので俺は驚いた。何事かと思って遠くから様子を見ていると酔っ払ったマネージャーが俺の隣に座って声をかけてきた。
「木原はすごいよなぁ」