優しい音を奏でて…
実務の説明を受けた後、練習が始まった。
私たちの仕事は、データ入力。
いわゆるキーパンチャーだ。
前職がSE(システムエンジニア)だった私にとって、自分の頭を使わず、データをそのまま入力するというのは、とても気楽で楽しい作業だ。
実際の作業は1〜2月が佳境らしく、今は実務データではなく、練習データを入力して1月に備えるとのこと。
パートに時給を発生させながら、研修期間を設けるなんて、今どき信じられない優良企業だわ。
私たちが真剣に練習入力を続けていると、いつの間にか12時になった。
昼食は、5人ずつ交代で行くらしい。
この会社は、OK銀行という地方銀行の系列会社で、OK銀行本社ビルの別館にある。
銀行系列だからなのか、ここには、色々とめんどくさい細かい決まりがある。
その中にオフィスでの食事禁止というものもあった。
昼食は、なぜか本社の9階にある社員食堂で食べなくては、いけないらしい。
例え、お弁当持参であっても。
後半組で昼休憩に行くように指示を受けた私は、12時40分まで練習を続けた後、お弁当を持って社員食堂に行った。
「わぁ!!!」
正社員の西田さんが案内してくれた社員食堂は、眺望がとても素晴らしく、私は思わず感嘆の声を上げていた。
地方都市にあるこの建物は、この市で1番高く、遠くまで見通す事ができる。
「毎日、ここでお昼を食べられるなんて、
幸せだね〜。」
私は思わず、呟いた。
「でも、満席じゃない?」
心配そうにキョロキョロしながら、高木さんが言った。
休憩時間は40分しかない。
この限られた空間に、本社及び系列会社に勤める全社員・行員が集まり、昼食をとる。
常に満席なのは、当たり前の事だった。
しかし、西田さんはにっこり笑う。
「大丈夫よ。
回転が早いし、みんな相席が当たり前だから、
気にしなければ、すぐ座れるわよ。」
そういうと、さっと見渡して歩き出した。
「ここ! おいで!」
西田さんは、1つの空きテーブルと隣で1人の男性が食べている席を指差して、私たちを呼んだ。
「ここ、いいですか?」
「どうぞ。」
西田さんは、食事中の男性に声を掛け、了承をもらうと、
「4人はそこで、私とあと1人はここね」
と言って、自分のお弁当を男性の前に置いた。
「………」
「………」
「じゃあ。私が…。」
みんな、見知らぬ人との相席に戸惑い、誰がそこへ座るか顔を見合わせていたので、私はあえて西田さんの隣にお弁当を置いた。
40分しかない昼休み、席を迷うなんてくだらない事で減らすのはもったいない。
私がそこに座って丸く収まるなら全然構わなかった。
SEだった頃は、初対面のお客様とランチに行く事も多々あったので、慣れていたから。
そして、西田さんに給茶機の使い方や布巾の場所などを教わると、ようやく席に座り、お弁当を広げた。
「いただきます!」
私が手を合わせると、目の前の男性が顔を上げた。
「かな…で?」
私は、不意に名前を呼ばれて固まった。
黒髪の短髪で軽く前髪を立ち上げたヘアスタイル、くっきり二重で目が大きく、鼻筋が通って整った、中性的な顔立ちの男性。
「ゆう…くん?」
「えっ? 何? 知り合い?」
西田さんが驚いて尋ねた。
驚きすぎた私は、不躾にも、ゆうくんをじっと見つめたまま、しばらく固まってしまった。