Hey girls!調子はいかが?

次の日から先生が来る度に無言の抵抗を繰り返した。
でも結局いつも負けて無理やり服を捲られ聴診される。バレるのが嫌だから聴診が嫌いだったけど必然的に聴診そのものが嫌いになるのにさほど時間はかからなかった。


それから2週間、なんとか数値を合格ラインまで持っていって、退院出来た。

この時私は誓った。
絶対医者になってやる。自分のことは自分で世話できるようになるんだ!と。

当時は小学校3年生だったけどこの決意はこの後も決して揺らぐことはなかった。


退院したと言っても月一での定期検診には行かなくちゃいけないし、私の喘息は決して軽くはなかったから薬が切れたらそれこそ下手すると本当に死んでしまう。相変わらず私の無言の抵抗は続いたけど、薬を貰うためだけに頑張って診察を受けた。


そしてその後はしっかりコントロール出来ていたこともあり再び入院することなく中学を卒業し、それと同時に小児科も卒業した。

内科の先生に引き継ぎをしておくから来月からは内科に行け、と先生からは紹介状を渡され、親からはもう高校生だから自分で病院に行きなさい、と毎月お金だけ貰うようになった。


だけどその時、私は内科にはいつまで経っても行けなかった。新しく主治医になる先生が今までの先生と同じような感じの人だったらどうしよう…と考えると、どうしても病院の入口から中には入っていけなかった。

幸か不幸か、体が成長して体力もつき、少しは健康になっていたらしい。しばらく病院に行かなくても最初の1年ちょっとは何とかなっていた。

医学部に進学するため、県内でも有数の進学校に通っていた私は高校1年生のころから勉強にあけくれていた。部活に所属することも無く、朝早くから学校で自習、その後授業をうけて放課後も完全下校の時間ギリギリまで勉強していた。

病院には行けていないしずっと張りつめていたのだろう。
張り詰めていても、いくら少しは健康になったと言っても結局私の体は他の子に比べて弱い。
体に限界が来るのは時間の問題だった。


高校2年生の9月頃、停滞前線ができて気圧が不安定な時に再び喘息の症状が顔をもたげた。
本格的に受験勉強に明け暮れる子も出てくる中で喘息に負けていられる時間なんてない。必死で生活リズムを正し、なんとか乗り越えようと頑張った。だけど努力とは裏腹に、ある日の帰り道、夜歩いていたら喘息の発作が出てしまった。
< 66 / 110 >

この作品をシェア

pagetop