漢江のほとりで待ってる

なす術もなく弦一郎達は、住む所を追われる。

あの事故の事件後より、今の方が、苦痛を強いられた。

今まで、由弦を殺そうとしたことに着目されなかったことが奇蹟だった。

だが、今になって、またその当時の事件のことや、由弦を陥れようとした盗難事件のこと、慶太が、雅羅と高柳家に仕えた執事の間に出来た子と、騒ぎになった。

揚げ句、「弟の恋人まで奪って、贅沢三昧!愛人とされたさた弟こそ、生粋の高柳家の血を引いていた!」など。

しかしこの事件を再びリークしたのは、あの人だった。

一時的に、身を隠しながらホテル暮らしをすることに。

改めて、形見の狭い思いをし、後ろ指さされながらの生活。

雅羅はもう、嘆く声すら出ない。今までが甘かった方だと、現状を受け入れていた。

慶太は会社の状況を知るために、仲里にそれとなく連絡を取った。

その時に、週末、一条と珉珠の三人で、由弦が住んでいたアトリエの掃除をすることを聞き出す。

慶太は思い切って、自分もそれに参加しようと決意する。

そのことを、弦一郎達にも伝えると、自分達も行くと言った。

この時初めて、由弦の暮らしぶりを知ることとなる。

そして週末のアトリエ。

慶太達が行くと、すでに一条達が来ていた。

「一軒家と聞いていたのに、まるで小屋だな」弦一郎が思わず言った。

慶太は、そのアトリエを見るなり、やり切れない思いで溜息を吐いた。

中に入るとあまりの狭さと、窓から日差しが注ぐものの、春にもかかわらず寒々しい感じに驚いた。

「こんな殺風景な部屋で……」また弦一郎が呟いた。

「一人で、ひたすら絵を描かれていました」と無表情で仲里は言った。

寝食を忘れて取り組む、由弦の姿が目に浮かぶようだった。

—————— 絵を描くことで、孤独を紛らさせていたんだな。

弦一郎は思った。

珉珠は辺りを見渡した。

目を閉じれば、ここで過ごした由弦が手に取るように感じられた。

由弦の淋しさや自分に向けた悲痛な叫び、苦痛、怒り……絵に対する情熱も、胸に押し寄せてくるようだった。

その時一条が、壁にぶつけたと思われる、壊れたスマホを見つけた。

「そりゃ連絡も取れないはずだ。ここにいた時からもう死ぬ覚悟をしてたんだな」

その言葉を聞いた珉珠は、追い詰めた原因は自分だと、己を責めた。

また奥の方では、

「あの時のグローブだ。高柳専務の得意な野球。大切なはずなのに、放り投げられた感じ。あ、やっぱり切れ込みが入ってる。こんなんじゃ誰だってちゃんとキャッチなんて出来っこない」

そう呟くと、仲里は慶太にそのグラブを差し出した。

「あの時はほんとにどうかしてたんだ……」

「ほんとですよ。ギャッホーイ!とかバカみたいに叫んでましたよね。今さら何言ってもだけど」

慶太は、仲里に言われて、急に恥ずかしくて俯いた。

大切な商売道具でもある、画材道具も何もかも散乱して、ぞんざいな扱いになっていた。

「なんて愚かな父親なんだろう。欲がないから、慶太の右腕にだなんて。あの子も立派な男なのに、親が順位を付けた揚げ句、あの子の才能まで奪ってしまうなんて……二度と描けないなら、こんな画材道具も必要ないと思ってしまうよな」

由弦の使っていた筆やペンなど、拾い上げながら弦一郎は涙した。

皆しんみりとなった。

珉珠は何気に視線を、作業台に向けた。

そこに小さな白い箱を見つける。

「何が入ってたのかしら?」

開けてみると中は空っぽ。

「リングケースみたいだけど」独り言を言う珉珠。

すると一条が、見覚えのある箱に、

「何も入ってませんか?」

「えぇ」

「あいつどこにやったんだ」

「大切なものなのかしら?」

「はい。とりあえず、箱は青木さんが大事に持っててください」

一条は珉珠に保管させた。

この時はそれで済んだ。

未だ、約束を果たそうとしている由弦の思いなんて、誰も知る由もなかった。

< 308 / 389 >

この作品をシェア

pagetop