〜starting over〜


杏は、根っからエンターテイナーだ。
不慣れながらも、パフォーマンス中、人をどうやって楽しませようかという気持ちが伝わってくる。
Muse内での自分の立ち位置も解っていて、出すぎず下がりすぎず。
元々社交的な性格だし、周囲とも良い関係を築いているけど、自分のパーソナルスペースへも踏み込ませない、相手と一定の距離を保っているようにも感じられる。
無意識に、親しくなった人間に裏切られる事への恐怖心がそうさせているのかもしれない。

1つ問題があったと言えば、想定内か、想定外か。
杏の前の男、倉敷真輝(くらしき まき)が思ったより知名度があった事だろうか。
チャラいヤツとは聞いていたが、モデル以外にも新進俳優としてデビューした。
それを切っ掛けに、ネット上では杏と真輝の過去が暴露され、尾鰭はひれをつけた事実無根な
噂話は1人歩きを始め、杏は軽んじた女だと揶揄されるようになった事だ。
俺との関係性もよくなかった。
身内の権力を使ってオーディションに受かったとか言われ、杏の努力を無碍にするようなことが囁かれた。
SNSや噂好きの雑誌や新聞欄が紙面を賑わせ、心無い言葉が飛かった。
本人は、「Museの知名度が上がるなら構わない」と言うが、強がってるだけだと、握りしめた手の震えが語っていた。
奇しくも、此方から戦略的なプロモーションを展開しなくても、新Museの始動は注目を集める事となったのだが……。
ビジネスだとは言え、1人の子供に目に見えない群衆の悪意に曝すなんて。
こんな事の為に、杏を預かった訳じゃない。
俺は1人、謝罪をしに義兄宅を訪ねた。

「杏が高校でどんな生活をしていたのか、メディアから入ってくる情報が全てではないとは解っている。こんな事、私達が言えた義理ではない事も解っている。だけど、此処に居たら危険かもしれないと、湊に杏を任せたんだ。芸能界だって、杏が望むならと委任状も書いた。それなのに……安全だと送り出した先が地獄だとは誰も思うまい」

義兄夫婦が、涙を浮かべた。
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