〜starting over〜

そんな平凡日々が嘘のように。
今は荒波に身を投じる杏。
あの頃のように、普通の女の子に戻そうと何度も思った。
でも、動き始めてしまったMuse(プロジェクト)から、本人の意思を無視して無理やり脱退させるのは、杏という人間を否定する事に繋がらないだろうか。
メンバーやMuseを支えるスタッフ達は杏の為人を知っているから、噂に振り回される事もないが、杏本人は自分がMuseの汚点だと思い込んでしまうかもしれない。
杏の声は、Museに必要だ。
でも……。
思考が堂々巡りをする。
問題は、義兄の借金は相殺したが、杏の可能性に賭けた事務所が一部肩代わりしてくれているので、強引には事は進めれない。

「はぁ……」

溜め息が出た。
事務所も最大限の力を駆使して沈下に駆け回ったが、尾鰭はひれをつけ泳ぐ話まではどうする事もできなかった。
杏もここで生きていくと決めているらしく、気丈に振舞っている。
まだ10代の幼い恋に恋をしているだけの()だと思っていたけど、子供なりの覚悟があると感じた。
聡い子というのも、辛いものだ。
こっちに来てから、バイトの収入も殆どを両親の元へ送り、今は必死に自分の居場所を求めてる。
その為に身を切る思いも厭わない。
それが良かったのか悪かったのか、行き場のない思いは、ダンスと歌にぶつけられた。
心無い噂話にファンの心が離れてしまわぬよう、実力を着実に身につけていったし、磨きがかかった。そのお蔭と言っていいのか、興味本位にMuseを視聴した人の心を捕らえ支持を獲得していったのも事実だった。
現に、歌の表現力は豊かさを増した。
レコーディングでは、何度も自分の歌を聴き直し、聞き手の立場となって修正をする。
自分の思い描く世界を思うように歌えず、何度何度もとりなおす。
ダンス初心者の杏は、歌いながらのダンスに苦戦していたが、体で覚えさせようと、痛む体に鞭打って日々踊り続けていた。
まるで必死に自分の居場所を確保するかのように……。

孤独な背中に、ふと既視感が過る。
かつて栄光を手にしながら、重圧に耐えきれず消えていった星。

「杏、おまえは俺が支える」

今度こそ、この小さな光を護らなくては。
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