【短】どこまでも透明な水の底
その一言に、どうしようもなく胸が苦しくなった。
別に私生活に関して何かを同情された訳ではないだろうに、彼女の言葉はどんどん胸の中に入ってくるようだった。
「…じゃあ、こんな押し問答してる間にもどちらかが風邪を引くかもしれないから、俺がきみを送る。それでいいね?」
半ば強引な提案。
彼女に拒否権はない。
もう一度彼女に微笑むと、彼女はスッと切れた黒い髪色と同じの瞳で俺捉えて、無言のまま小さく頷いた。
正しくは、頷く前に俺が彼女をエスコートするようにして歩き出した。
「…垣田さんて…良い人ですね」
相変わらず、彼女の声は雨音に掻き消されそうなほど小さい。
図体ばかりがデカい俺は、彼女の言葉を聞き取ろうと、その度に腰を傾げて耳を寄せる。
「…りゅう。りゅうでいいよ?」
肩苦しいのは苦手だし、なんとなく彼女から遠慮深い態度をされることが嫌だったから、咄嗟にそう告げていた。
彼女は少し考えてから、戸惑うように答える。
「…でも、ほら、一応年上、ですし…」
カフェでオーダーを取る時に聞く声色とは、また違った彼女の素の声に柄にもなくときめいている自分がいた。
「…じゃあ、俺も成海って呼ぶから」
「…え……?」
少しはしゃいでしまってから、ハッと我に返る。
彼女の方を見ると、やはり驚いた顔をしていて、やってしまった感ありありだった。
「いや、あの………呼び捨て、いや?」
何か良い言い訳はないかと口籠った挙句、少しばかり紅くなって、そう伺うと彼女から意外な返事が返ってきた。
「いやっていうか、…私の下の名前…りん、ですよ?」
「え、うそ、まじか。俺ずっと成海かと思ってた」
間抜けた声を上げると、彼女は鈴のような声でくすくすと笑った。
店で無意識に作られた愛想笑いとは、違った笑顔。
俺もつられて笑い出す。
「ふふ。か……りゅうさんて面白い人なんですね」
「良い人だけじゃないって、分かった?」
思わず、片目を瞑ってそう告げると、彼女は目尻を染めてこう返して来た。
「そうですね…もっと、知りたい、かも…」