Monkey-puzzle
黒縁眼鏡と疑心暗鬼





橘さんが連れて行ってくれた所は、都会の喧噪を少し離れた裏路地の隠れ家的なバーだった。
店内には心地いいジャズが流れていてそれにシェイカーの音が混ざり合い、ムードを盛り上げて心地の良い空間を作っている。

さすがだな…こんなに素敵な所を知っているなんて。

カウンターに横並びに腰掛けた後、橘さんが「どう?」と少し私を覗き込んだ。


「…勉強になります」


感心しきりに見回しながら答えた私をハハッと楽しげに笑う。


「だって、雰囲気の緩急が素晴らしいですよ?
落ち着いた中に明るさがあって。それでいて、時間の流れはゆっくりで…。」

「さすがは木元さん。いい反応で嬉しいわ。だけど、今日は仕事は抜きでどう?
俺としては、木元さんを口説きに来てる訳だしさ」

「また…橘さんはすぐにそうやって…」


非の打ち所が無い程に綺麗な眼差しを向けられて恥ずかしくなり俯いたタイミングで、綺麗な虹色のカクテルが目の前に置かれた。


「智ちゃん、焦り過ぎ!
はい、真理ちゃん!このカクテルね、智ちゃんが真理ちゃんをここに飲みに連れて来た時にって、ずーっと考えてたんだよ?」

「おい!よけいな事しゃべんなって」


こんなにフランクな感じって、バーテンさんにしては珍しいタイプなのでは…。バーテンのイメージってどちらかと言うと物静かにお客様の話を聞いている感じが多いのに。それとも私のリサーチ不足なのかな…?

当の本人は、目が合うとニコリと笑顔を向ける。落ち着いてはいるけれど、どちらかと言うと子供の様なあどけなさがあってスラリと伸びた身長とアンバランスにも思えた。


「つい一ヶ月前かな?智ちゃんが『カクテルを今から言う人のイメージで作ってほしい』って言い出してさ…俺、言われた通りに再現すんの超苦労したもん。」


だけどアンバランスはそのフレンドリーな会話が絶妙にカバーしている気がする。無意識か意識的かは分からないし、橘さんが相手だからなのかもしれないけれど、きっとこの人の魅力として確立されたものなのだなと感心を抱いた。


「いくら何でも、お前はしゃべり過ぎだって。それだけネタバラしされたら、俺、かっこ悪いじゃん。」

橘さんが苦笑い。

「その…さ。木元さん、本当にいつも頑張ってくれてるから、労いの意味でね?頼んでたんだよ。」

…もしかして、さっき電話を入れてくれていたのって、このカクテルを準備してもらう為?

頬が勝手に緩み出す。

「寧ろ、バーテンさんのネタバラしが嬉しいです。」

「本当に?木元さんて読めないなー。女子って普通スマートが好きなんじゃないの?」


やっぱり橘さんと話す空間は好き。
だけどそれはきっと、橘さんが私をこうやって気にかけてくれているからなのかもしれない。別にその為に一生懸命にやっているわけではないけれど、仕事ぶりを見ていて評価して貰えるのはやっぱり嬉しい。

とりあえず乾杯しようか、とグラスを持ち上げる橘さんに感謝を込めて、「ありがとうございます」と告げてから、私も虹色のカクテルを手に取った。












橘さんと初めて二人で過ごした時間は話題豊富な橘さんの話に没頭していたら、あっという間に過ぎて、いつの間にか終電を気にする時間になっていた。


…本当に、楽しかったな。


通勤途中の電車の中、スマホを鞄から取り出して橘さんとのメッセージ画面を開いた。


『また良かったら飲みに行きましょう』


『また』か…。


一つ息を吐いて、今度は渋谷の連絡先を開く。
だけどそこは、うんともすんとも言わないまま、私が昨日最後に送った『くれぐれも失礼の無い様に』と言うメッセージで止まっていた。

無事送り届けた、位のメッセージくれても良いのに。どうなったか心配するでしょ、こっちだって。

そんな風に思った自分にまた一つ息を吐く。

『送り届けろ』と言ったのは私なんだし渋谷はそれに従っただけで。例えそこで何があったとしても、私に何かを言う権利は無い。というか、そんな風に勘ぐるなんて私、どれだけ器が小さいんだか。

スマホを仕舞うとよろけそうになるピンヒールに意識を向けてホームに降りた。


…ワークショップまで後半月。

発注はほぼ済んでる。
後は、会場準備の段取りを念入りに計画するだけ。

気合いを入れて働かなきゃ。
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