Monkey-puzzle
黒縁眼鏡と思惑
◇
再び車を走らせて渋谷の住んでいるマンション近くのスーパーまでやって来た。
「そういや、俺んち、調理道具なんもない。フライパンも鍋も。」
「はっ?!ちょっと…。」
「だって、男一人だよ?料理なんかしないもん。」
車から降りた所で渋谷が私の手をまたキュッと握った。
「食材と一緒に必要な物を買ったら?真理さん、これからも作りに来てくれるでしょ?」
当たり前の様に笑う渋谷に、何て答えていいか分からない。
今日で最後じゃないの?
渋谷は一体どういうつもりなんだろう。
「ほら、行こ」と少し手を引っ張られて俯きながら歩き出したら、頭の先の方向から軽快なピンヒールの音がした。
「わっ!渋谷さん!」
この柔らかい高い声は、と顔を上げたらやっぱり。咄嗟に繋いでいる手を振り払う。
どうしてここに…田所さんが?
「こんばんは。偶然ですね。」
渋谷は私とは違って動揺はしていないのか、ゆっくりとした口調で挨拶をしている。
「本当に!木元さんもご一緒で…お仕事ですか?」
「ま、まあ…。」
「お休みの日までお仕事なんて、大変ですね。」
「い、いえ。田所さんは、お買い物ですか?」
「私は市場調査です。こういう所のお惣菜も今時は結構オシャレで美味しかったりするので。」
そうなんだ…デパートの社員さんも色々努力してるんだな。
ここのスーパー、東栄デパートからはかなり離れている所なのにわざわざ出向くなんて。
「大変ですね」
「いえ、結構楽しんでやっていますから。」
カツンとピンヒールを響かせて優しく微笑む田所さんに、妙に気後れした。
渋谷に心配されてフラットシューズまで買わせて…恥ずかしいな、私。
「せっかくここでお会いしたことですし、一緒にお夕飯でもどうですか?」
小首を傾げる田所さんの黒髪が、サラリと揺れてライトに照らされ艶を持った。
渋谷は変わらず笑顔を向けている。
「そうですね。ぜひ。」
…だよね。
もしかしたら断ってくれるのかもと期待した自分を心の中で禁めた。
この前は送らせといて今日は『断って』なんてムシが良すぎる話だよ。しかも自分で断らずに渋谷を頼ろうとするなんて。
田所さんに近づいた渋谷に気付かれない様そっと溜め息を吐き出した。
『月曜日、1日俺と居て?』
でも…我が儘なのは分かっているけど、今日は二人で居たかった…な。
私を背中に連れて田所さんと二人並んで歩く渋谷。
「渋谷さんは何が食べたいですか?」
「田所さんの好きな物。」
「え…や、やだなあ…。何言ってるんですか。」
…楽しそうだね、随分。
少し唇が尖った自分に気が付いて慌てて俯いた。
本当に私は勝手だ。
田所さんを送らせたのも私、『離れろ』と言ったのも私。
なのに、二人が仲良しな所を見て不服に思うなんて。
後ろに振り返る田所さんの薄桃色のスカートがフワリと揺れた。
「そうだ!橘さんもお呼びになったらいかがですか?4人の方が話も更に楽しくなりそうだし。」
無邪気に笑う田所さんの提案に、思わず顔を強ばらせた。
このタイミングで橘さんが私と会うのは如何なものかと…。
「大丈夫ですよ!二人で会うわけじゃないですし!木元さんが呼べば来てくださるんじゃないですか?」
やっぱり私と橘さんて、いい雰囲気に見えるんだ。
改めて自分の立ち振る舞いを反省して、田所さんにだけでも誤解を解こうと身を乗り出した所に、渋谷が割って入った。
「いいじゃん、智ちゃんも呼ぼうよ。日本にあの人が居る日数なんて限られてんだから、会える時に会っといた方がいいよ?
智ちゃんも会いたいんじゃない?真理さんに。」
…さっきまで、「樹は覚えてて俺は知らなかった」とかって言ってたのに。
田所さんにあった途端に随分変わるじゃない。
渋々スマホを取り出す私をよそに、また二人で会話が始まる。
「渋谷さん、この前はありがとうございました。」
「いや、俺の方こそ…。」
少し離れて行った二人を気にしていたら、スマホから聞こえた橘さんの呼びかけに気が付かなかった。
『…し?もしも~し?木元さん?』
い、いけない…。
「あ、突然すみません…。今、お時間大丈夫ですか?」
『もちろん、もちろん。木元さんからの電話ならいつでも大丈夫だけどね。』
ハハッと明るい笑い声がスマホから聞こえて来て何となく気持ちが楽になる。
…渋谷の事はともかく、橘さんとはやっぱり話がしたいかも。
「実は、今、偶然田所さんと会いまして…その、4人で食事でもと言う話に。」
『4人?』
「あ、渋谷も一緒です。」
『そう、なんだ…』
スマホの向こうが一瞬沈黙になる。
「…橘さん?」
『あ、ああ、ごめん。ちょっと一瞬考え事した。で、食事、ね。丁度仕事が終わった所だから。場所を教えてくれたら合流する。』
「わかりました。では食事場所が決まったらメッセージしますね。」
『了解、待ってマース』
何だろう…最後はいつもの橘さんだったけど。もしかして、仕事がお忙しかったかな。
無理にお誘いしてしまったかもしれないと心配になって、会話を終了した画面を見つめていたら横から渋谷が覗き込んで来た。
「どう?智ちゃん来れるって?」
「うん…。」
「じゃあ、移動しましょうか!私、美味しいイタリアンのお店を知っているんです。」
「案内しますね」と助手席に乗ったのは田所さんで渋谷もそれを普通に受け入れてる。
…それだけの事なのに凄く気が重い。
「渋谷さん、この前ちらっと話した、子供の積み木の素材のお話なんですけど…。」
「ああ、それ、気になってた。どうなったの?結局」
「それがですね…」
再び仲良さげに話す二人を後部座席からただ見守っていて思った。
きっと田所さんは、たかがデート位で張り切って色々頑張るなんて事もなく、自然にサラッと可愛く仕上げてくるんだろうな…。
二人の空気になじめなくて窓の外に目を移す。等間隔で並ぶ街灯が行き過ぎるのを見ながら、不意に橘さんの事を考えた。
『木元さん、頑張っているから。』
…この間のバー以来だな、橘さんにお会いするの。
会ったらきちんと謝罪しないと。私のせいで名誉を傷つけたんだから。
再び車を走らせて渋谷の住んでいるマンション近くのスーパーまでやって来た。
「そういや、俺んち、調理道具なんもない。フライパンも鍋も。」
「はっ?!ちょっと…。」
「だって、男一人だよ?料理なんかしないもん。」
車から降りた所で渋谷が私の手をまたキュッと握った。
「食材と一緒に必要な物を買ったら?真理さん、これからも作りに来てくれるでしょ?」
当たり前の様に笑う渋谷に、何て答えていいか分からない。
今日で最後じゃないの?
渋谷は一体どういうつもりなんだろう。
「ほら、行こ」と少し手を引っ張られて俯きながら歩き出したら、頭の先の方向から軽快なピンヒールの音がした。
「わっ!渋谷さん!」
この柔らかい高い声は、と顔を上げたらやっぱり。咄嗟に繋いでいる手を振り払う。
どうしてここに…田所さんが?
「こんばんは。偶然ですね。」
渋谷は私とは違って動揺はしていないのか、ゆっくりとした口調で挨拶をしている。
「本当に!木元さんもご一緒で…お仕事ですか?」
「ま、まあ…。」
「お休みの日までお仕事なんて、大変ですね。」
「い、いえ。田所さんは、お買い物ですか?」
「私は市場調査です。こういう所のお惣菜も今時は結構オシャレで美味しかったりするので。」
そうなんだ…デパートの社員さんも色々努力してるんだな。
ここのスーパー、東栄デパートからはかなり離れている所なのにわざわざ出向くなんて。
「大変ですね」
「いえ、結構楽しんでやっていますから。」
カツンとピンヒールを響かせて優しく微笑む田所さんに、妙に気後れした。
渋谷に心配されてフラットシューズまで買わせて…恥ずかしいな、私。
「せっかくここでお会いしたことですし、一緒にお夕飯でもどうですか?」
小首を傾げる田所さんの黒髪が、サラリと揺れてライトに照らされ艶を持った。
渋谷は変わらず笑顔を向けている。
「そうですね。ぜひ。」
…だよね。
もしかしたら断ってくれるのかもと期待した自分を心の中で禁めた。
この前は送らせといて今日は『断って』なんてムシが良すぎる話だよ。しかも自分で断らずに渋谷を頼ろうとするなんて。
田所さんに近づいた渋谷に気付かれない様そっと溜め息を吐き出した。
『月曜日、1日俺と居て?』
でも…我が儘なのは分かっているけど、今日は二人で居たかった…な。
私を背中に連れて田所さんと二人並んで歩く渋谷。
「渋谷さんは何が食べたいですか?」
「田所さんの好きな物。」
「え…や、やだなあ…。何言ってるんですか。」
…楽しそうだね、随分。
少し唇が尖った自分に気が付いて慌てて俯いた。
本当に私は勝手だ。
田所さんを送らせたのも私、『離れろ』と言ったのも私。
なのに、二人が仲良しな所を見て不服に思うなんて。
後ろに振り返る田所さんの薄桃色のスカートがフワリと揺れた。
「そうだ!橘さんもお呼びになったらいかがですか?4人の方が話も更に楽しくなりそうだし。」
無邪気に笑う田所さんの提案に、思わず顔を強ばらせた。
このタイミングで橘さんが私と会うのは如何なものかと…。
「大丈夫ですよ!二人で会うわけじゃないですし!木元さんが呼べば来てくださるんじゃないですか?」
やっぱり私と橘さんて、いい雰囲気に見えるんだ。
改めて自分の立ち振る舞いを反省して、田所さんにだけでも誤解を解こうと身を乗り出した所に、渋谷が割って入った。
「いいじゃん、智ちゃんも呼ぼうよ。日本にあの人が居る日数なんて限られてんだから、会える時に会っといた方がいいよ?
智ちゃんも会いたいんじゃない?真理さんに。」
…さっきまで、「樹は覚えてて俺は知らなかった」とかって言ってたのに。
田所さんにあった途端に随分変わるじゃない。
渋々スマホを取り出す私をよそに、また二人で会話が始まる。
「渋谷さん、この前はありがとうございました。」
「いや、俺の方こそ…。」
少し離れて行った二人を気にしていたら、スマホから聞こえた橘さんの呼びかけに気が付かなかった。
『…し?もしも~し?木元さん?』
い、いけない…。
「あ、突然すみません…。今、お時間大丈夫ですか?」
『もちろん、もちろん。木元さんからの電話ならいつでも大丈夫だけどね。』
ハハッと明るい笑い声がスマホから聞こえて来て何となく気持ちが楽になる。
…渋谷の事はともかく、橘さんとはやっぱり話がしたいかも。
「実は、今、偶然田所さんと会いまして…その、4人で食事でもと言う話に。」
『4人?』
「あ、渋谷も一緒です。」
『そう、なんだ…』
スマホの向こうが一瞬沈黙になる。
「…橘さん?」
『あ、ああ、ごめん。ちょっと一瞬考え事した。で、食事、ね。丁度仕事が終わった所だから。場所を教えてくれたら合流する。』
「わかりました。では食事場所が決まったらメッセージしますね。」
『了解、待ってマース』
何だろう…最後はいつもの橘さんだったけど。もしかして、仕事がお忙しかったかな。
無理にお誘いしてしまったかもしれないと心配になって、会話を終了した画面を見つめていたら横から渋谷が覗き込んで来た。
「どう?智ちゃん来れるって?」
「うん…。」
「じゃあ、移動しましょうか!私、美味しいイタリアンのお店を知っているんです。」
「案内しますね」と助手席に乗ったのは田所さんで渋谷もそれを普通に受け入れてる。
…それだけの事なのに凄く気が重い。
「渋谷さん、この前ちらっと話した、子供の積み木の素材のお話なんですけど…。」
「ああ、それ、気になってた。どうなったの?結局」
「それがですね…」
再び仲良さげに話す二人を後部座席からただ見守っていて思った。
きっと田所さんは、たかがデート位で張り切って色々頑張るなんて事もなく、自然にサラッと可愛く仕上げてくるんだろうな…。
二人の空気になじめなくて窓の外に目を移す。等間隔で並ぶ街灯が行き過ぎるのを見ながら、不意に橘さんの事を考えた。
『木元さん、頑張っているから。』
…この間のバー以来だな、橘さんにお会いするの。
会ったらきちんと謝罪しないと。私のせいで名誉を傷つけたんだから。