Monkey-puzzle




顧客の呼び出しに対応してから出社した次の日。
三課の中は、明らかに昨日までと違う空気が漂っていた。
渋谷恭介の周りから、どう考えても発せられてる明る過ぎるオーラ。


「渋谷さんてば冗談ばっかり!」
「ほらほら、ミヨちゃん、渋谷とばっかりしゃべってないでこっちにもコーヒー欲しいな」
「仕方ないよな。相手はなんせあの渋谷だし。ミヨちゃんも浮かれちゃうよね。」
「そ、そんなこと無いです…すみません、皆さんにもコーヒーいれますので」
「いいよ、いいよ。ミヨちゃん、気持ちはわかるから。俺達はゆっくりで。」


何だろう、このデレッとした雰囲気。
大体、『あの渋谷』ってどの『渋谷』よ。今まで一課でどれだけ活躍していたかは知らないけど、三課は三課でまたやり方も変わるんだしさ…甘やかしてどうする。

会話も、笑い声も、緩んだ弦のように心地の悪い音色に聞こえて警戒しながら机に向かった。

「おはようございます…」
「真理、朝からお疲れ!ってなんだよ、随分警戒してんな。」

亨が課長席から立ち上がってにこやかに挨拶。

「ああそっか、昨日居なかったもんな。俺、今日から3課の課長になったから。いきなりの辞令だから、驚いたと思うけど、よろしく。」


何が『居なかったもんな』よ、白々しい。

「それはおめでとう」と目線を反らしてタブレットを立ち上げた。


「渋谷、昨日頼んだ資料は出来てる?」
「もちろん。一応USBに落としておきました。」
「ありがとう。助かったよ。」
「あ、俺も打ち合わせするなら同行してもいい?挨拶しておきたいし。」
「いいけど…「ちょ、ちょっと待てよ!」

亨が私と渋谷のやり取りに割って入った。


「なんでお互い知ってんだ?」


それは…と説明しようとした私より先に渋谷が口を挟んだ。


「昨日の夜、俺、真理さんと会ってましたから」


…言い方を気をつけようよ、渋谷くん。


案の定、亨の目は見開き、課内がざわつき始める。


「真理…お前…」
「違うわよ。たまたま昨日の夜に、仕事をしに会社に戻って来たら、渋谷が居ただけ!」


少しムキになって否定する私の隣で、渋谷が含み笑い。


こいつ…わざとだ。







席を立った渋谷を無理矢理引っ張って連れて行った書庫整理部。
資料の山に埋もれて作業をしてる山田部長に挨拶してから奥の奥を拝借した。


「渋谷、ああ言う発言は非常に困る。誤解を招くでしょ?」
「でも俺、嘘は言ってませんよ?昨日の夜、真理さんと会っていたのは間違いないんだし。」

そうだけど、物事には言い方ってもんがあるでしょ。
その前に何で私、名前で呼ばれてるの?
そもそも、公衆の面前であんな言い方するような人が本当に一課で活躍してた人なわけ?

色々疑問があり過ぎて、溜め息と共に目線を床に落としたらいきなり目の前が陰った。


「それより真理さん、もっと気をつけないと。」


は…い?

顔をあげたすぐ目の前に渋谷の身体が迫って来てる。


「こんなトコに連れ込まれたら、口説かれんのかな?って期待しちゃうでしょ?」

不意に伸びて来たその指先が頬に触れた。

「…やっぱ、スッピンが好きかも、俺は。」

こそばゆい感触に反応して顔中に熱が広がってくのが自分でもわかる。

「昨日頼まれた仕事、結構大変だったんですよ。
頑張って手伝ったんだから、ご褒美くださいよ。」

…今、何と?


「真理さんと飲みに行きたいかな、俺。美味い店とか知ってそうだもん。」
「し、仕事…なんだから、頑張るのは当たり前でしょ…。」
「そうだよ?でもさ、ご褒美があると思うともっと頑張れるでしょ?」

だ、ダメだ。
考え方が違い過ぎてついていけない。

少したじろいだら、背中に壁の感触。

「別に、今ご褒美を頂いてもいいんですけどね?」

頬に触れていた指がおりてきて、私の顎を持ち上げた。

私を映し出している眼鏡の奥の瞳が段々と大きくなる。鼻先がぶつかるのを避ける様に首を傾げて更に顔を近づける渋谷に堪え兼ねてその胸元を思い切り押した。

「わ、わかったから。行けばいいんでしょ?行けば!」
「ほんとに?!おしっ!タダ飯!」


離れてガッツポーズをする姿に、思わず安堵のため息。

ただ、奢って貰いたかっただけ…ね。
何か、この人、心臓に悪い。


「…キスのが良かった?」
「ばっっ!」

楽しそうに笑いながら「先に戻ります」と去っていく渋谷の背中が見えなくなったら、身体が勝手に脱力して思わずその場に座り込んだ。


…もの凄い疲れた。


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