Monkey-puzzle
そう言えば私、仕事でクライアントに気を遣う事はあっても、周囲の人や亨の顔色を伺って言葉を選ぶと言う事があったかな…。
まして相手を褒めるなんて事『そんなの恥ずかしいだけ』と避けて来た。
嫌われるのも誤解が生じるのも全部、私の身から出た錆ってやつなんだ。
今回のメールで痛感した。
少しずつ、改善出来る所は改善しなきゃ。
小さく息を吐き出して、恐る恐る渋谷の背中に腕を回した。
「あ、あの…。」
「何?」
「渋谷がね?モテるのはわかっているし、心配してないって事でもなくて…その…私が不器用だから、両立は無理だと思っただけで。」
恥ずかしさがこみ上げて、身体全体が熱くなる。顔を上げてられなくて、渋谷の胸元におでこをつけて俯いた。
「ほ、本当に、す、好き。渋谷が。
だ、だからね?私…渋谷と一緒に居たらコンペを投げ出してしまうから…」
たかがコンペ、されどコンペ。
やるからにはしっかりやりたい。それに今回のコンペは私にとっては特別だから。
「今日がピークだなんて言わないで…」
伺う様に目線をあげた先の渋谷の後ろで天井のライトが丁度照らしている。メガネのレンズを通した渋谷の瞳がその光を受けて綺麗に揺れた。
「あ~…もう、ズルい。」
「え?」
「や、こっちの話。
ねえ、だったらせめて真理さんも三課に加われば?
今ならあの課長様が、うまーく人間関係修復してくれんじゃない?」
「今年は一人でやりたいの、どうしても。」
「何で?」
「もう、アイディアも浮かんだし、その企画を起こす為の整理も頭の中で出来て来てるから。
三課だってもう、アイディアが浮かんでるって言うのは聞いたよ?
今更混乱させ無い方が、互いの為に良いと思う。」
「俺のやる気度がかなり変わる。」
「そんなの嘘でしょ?渋谷はどんな時でもちゃんとやるって知ってる。だから、コンペが終わるまで、ライバルがいい。」
琥珀色の瞳の誘惑を断ち切る様に言い切ると、渋谷が呆れた様に溜め息を吐き出した。
「やっぱり俺、真理さんに振り回されてんじゃん。」
「ご、ごめん…。」
「じゃあ、我慢しますよ、コンペが終わるまでは。」
暖かい…渋谷の腕の中。
暫く、お預けだね。
ちゃんと覚えとこう…
「…念押しとく。”コンペが終わるまで”だからね。」
「うん…。」
ちゃんと、ここに帰って来よう…渋谷の腕の中に。
胸元におでこをつけて目を閉じると、渋谷が私の頭に顔を埋めた。
不意に渋谷のメガネのフレームが少しカチャリと音を立てる。
そう言えば渋谷のメガネって私と同じフレームだよね。
多分…同じメーカー?
最初に出会った時、私がかけていたのを渋谷が勘違いしたっけ。
「…渋谷って、コンタクトはダメな人?」
「何、いきなり。」
クスリと笑う吐息が少しうなじにかかってくすぐったい。
「学生時代はコンタクトだったけどね。
社会人になってからメガネになった。」
「へえ…。」
「まあコンタクトのが便利っちゃあ便利なんだけどね。このメガネはトクベツだから。」
トクベツ…?
「大切な人から貰ったメガネなんだよ。いわばお守り?願掛け?そんなとこ。」
渋谷の…『大切な人』。
「…そっか、じゃあ、外せないよね」
「うん。外せないけど。真理さんがコンタクトのがいいっつーならそうするよ?」
目尻に優しく触れた唇。反応した目頭が少し熱くなった。
「…ううん、メガネ、似合ってる。」
「そ?」
聞けば良いのかな、素直に。
『大切な人は女の人ですか?』と。
そしたら私の心はすっきりするの?
でもその答えがYESでもNoでも、結局『大切』なんだから、外せなんて私には言えない…。
再び唇同士が触れ合った。
「…覚えてない?」
「な、何を…?」
「ん~何でもない。」
「赤くしよ。」とおでこを合わせる渋谷は含み笑いをして一人、楽しそう。そのまま、私の首筋に顔を埋めて、ギュッと強く抱き寄せた。
何だろう…私、何か大事な事、忘れてる…の?
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