Monkey-puzzle
3課へ戻る最中、不意にスマホが鳴った。
ディスプレイに浮かび上がる”橘 智也さん”の文字。
橘さんは調香師として世界でも指折りの人で、今回は東栄デパートの申し出で橘さん自身がワークショップを手がけることになり、私の所にイベント依頼をしてくれた。
そうか…渋谷に手伝って貰って手直しした資料、もう目を通してくれたんだ。
多忙な中での相変わらず細やかで速い仕事ぶりに尊敬をしつつ、画面をタップした。
『あ、木元さん?今日の夜って打ち合わせ可能?
さっき、送って貰った資料で確認したい箇所と変更点を思いついちゃって。急で申し訳ないんだけど、飯でも食いながらどう?』
急いでスケジュールを手帳で確認する。
今日は他の仕事は夜に入ってはないかな…。
同じく担当の高橋も。
「大丈夫です。お伺い致します。」
『よかった、じゃあ後ほど』
高橋にも知らせないと。
夜に予定が入っていないとは言え、高橋の今日の仕事が外回りか内勤かが分からない。外回りだと連絡がとりにくくなるし、橘さんに会う前に打ち合わせが出来ない状態になるかもしれない。
急いで戻った3課。入り口まで来たら、中から朝と同じような楽しげな会話が聞こえてきた。
「じゃあ今日は渋谷の歓迎会だな。あいつ、どこ行ったんだ?まだ戻んないの?」
亨が課長席から全体を見渡している。
「真田課長、とりあえずお店を予約しておきます。渋谷さんには後で聞いてみましょうよ。ほら、だって課長のお祝いもしなきゃ。」
「ありがとう、ミヨちゃん。気が利くね、相変わらず」
「その位しか私、出来ませんから…。皆さんのお手伝いが精一杯で。木元さんみたいにバリバリ仕事もできないし…。」
「仕事が出来てもツンツンされてるとね、取っ付きにくくて、やりにくいよなー。」
「だよね…って本人に聞かれたらマズくない?」
「平気だろ。俺らなんて眼中無いでしょ?お局様は。それより、課長に先こされて、泣いてんじゃない?今頃」
「まあ、あのキツさだもんな。上層部だって、やり取りしたくねーよな。」
課内に起きる笑いの渦と、その中心に亨の笑顔。
…何とも思わない、こんな光景。
今に始まったことじゃない。
俯く瞬間「…入らないの?」と渋谷が横を通り過ぎた。
「戻りました」と笑顔を皆に見せる。
「渋谷、今日、お前の歓迎会するからな。」
「課長の昇進祝いもですよ」
ミヨちゃんがご機嫌にコーヒーを出して、それに「ありがとう」と返す渋谷。
「すみません、僕のためにわざわざ。」
「気にすんな、皆お前と飲みたいだけだから。」
亨の言い草に課内は更に和やかな雰囲気に包まれた。
相手が誰であろうと、全てを丸くおさめようとする。その能力に長けているからこそ、亨は課長に昇進出来たんだよね…。
渋谷がそんな亨にニコリと笑みを向けた。
「…真理さんも来ます?」
あいつ…また余計な事を。折角亨が作った雰囲気をあっさり崩して。
案の定、課内の空気は真逆と言っていい程、気まずい雰囲気に一変してしまった。
「ど、どうでしょう…聞いてみます…けど。」
ミヨちゃんが完全に困って、笑顔を引きつらせている。
そりゃそうだよね。彼女の頭の中に私を呼ぶと言う筋書きは無かったはずだから。
「渋谷、気を使わなくて平気だぞ?
あいつはそう言うの好きじゃないんだ。仕事以外で社の人間と絡むとか。」
亨が空気を溶かそうと、にこやかに話しても渋谷は引き下がらない。
「でも、せっかくの歓迎会だし俺は居てほしいかも。」
…いくら三課に来たばかりで内情がわからないとはいえ、この空気位は感じ取れているはずなのに。
タブレットを立ち上げながら、知らんぷりをしている渋谷に思わずため息がこぼれた。
「…戻りました。」
「あ…真理さん…。」
ミヨちゃんが気まずそうに少し亨の後ろに隠れる。幹事を買って出てしまった以上、そして渋谷が私を指名している以上、声をかけなければいけないと恐れたんだと思う。
泣きそうになっているミヨちゃんに心の中で同情しながら知らんぷりをして席に戻った。
「真理さん、今日、俺の歓迎会だって。来るでしょ?」
余裕の笑みを浮かべる渋谷を横目で睨む。
「今日は無理。顧客との打ち合わせが夜にあるから。高橋、あなたもだよ。」
「えー!聞いてないっすよ!」
「今さっき連絡が来たの。
どんな事があっても、お客様が優先。
そう言う不平不満を言う暇があったら、この前の資料、もう少し改善して。」
渋谷の言動でいつも通りにやり過ごせない苛立ちが言い方に出てしまっている。それはわかっているんだけど、どうしても抑えられなかった。
より冷えた課内の空気に渋谷のあっけらかんとした声が入り込む。
「ねえ、真理さん。それってもしかして俺が昨日資料修正した橘さんとの打ち合わせ?」
「そう…だけど。」
「だったら、俺、昨日の内に資料を読み込んだし、一緒に行きますよ。高橋、お前は飲みに行ったら?今日は真田課長の昇進祝いにして、日を改めて高橋の仕切りで俺の歓迎会してよ。」
「あ、あのね…渋谷。これは高橋の仕事…。」
「真田課長から聞きましたけど、3課のやり方として、相手に威圧感を与えない為に最終打ち合わせ以外はクライアント一人に対して、リーダーのみ、もしくは多くてもプラス一人だそうじゃないですか。
リーダーの真理さんは行くとして…俺も先方に挨拶が出来るし、何より、仕事はなるべく共有していた方が、いざって時に楽だよ?」
渋谷の理論に言い返せない私を見て、課内のあちこちで『渋谷すげえ』と感嘆の囁きが起きる。
「確かに、それぞれの仕事をもう少し多く共有し合った方がいいか…俺、見直すわ。」
亨も感心した様にパソコンに目を落とし始めた。
ディスプレイに浮かび上がる”橘 智也さん”の文字。
橘さんは調香師として世界でも指折りの人で、今回は東栄デパートの申し出で橘さん自身がワークショップを手がけることになり、私の所にイベント依頼をしてくれた。
そうか…渋谷に手伝って貰って手直しした資料、もう目を通してくれたんだ。
多忙な中での相変わらず細やかで速い仕事ぶりに尊敬をしつつ、画面をタップした。
『あ、木元さん?今日の夜って打ち合わせ可能?
さっき、送って貰った資料で確認したい箇所と変更点を思いついちゃって。急で申し訳ないんだけど、飯でも食いながらどう?』
急いでスケジュールを手帳で確認する。
今日は他の仕事は夜に入ってはないかな…。
同じく担当の高橋も。
「大丈夫です。お伺い致します。」
『よかった、じゃあ後ほど』
高橋にも知らせないと。
夜に予定が入っていないとは言え、高橋の今日の仕事が外回りか内勤かが分からない。外回りだと連絡がとりにくくなるし、橘さんに会う前に打ち合わせが出来ない状態になるかもしれない。
急いで戻った3課。入り口まで来たら、中から朝と同じような楽しげな会話が聞こえてきた。
「じゃあ今日は渋谷の歓迎会だな。あいつ、どこ行ったんだ?まだ戻んないの?」
亨が課長席から全体を見渡している。
「真田課長、とりあえずお店を予約しておきます。渋谷さんには後で聞いてみましょうよ。ほら、だって課長のお祝いもしなきゃ。」
「ありがとう、ミヨちゃん。気が利くね、相変わらず」
「その位しか私、出来ませんから…。皆さんのお手伝いが精一杯で。木元さんみたいにバリバリ仕事もできないし…。」
「仕事が出来てもツンツンされてるとね、取っ付きにくくて、やりにくいよなー。」
「だよね…って本人に聞かれたらマズくない?」
「平気だろ。俺らなんて眼中無いでしょ?お局様は。それより、課長に先こされて、泣いてんじゃない?今頃」
「まあ、あのキツさだもんな。上層部だって、やり取りしたくねーよな。」
課内に起きる笑いの渦と、その中心に亨の笑顔。
…何とも思わない、こんな光景。
今に始まったことじゃない。
俯く瞬間「…入らないの?」と渋谷が横を通り過ぎた。
「戻りました」と笑顔を皆に見せる。
「渋谷、今日、お前の歓迎会するからな。」
「課長の昇進祝いもですよ」
ミヨちゃんがご機嫌にコーヒーを出して、それに「ありがとう」と返す渋谷。
「すみません、僕のためにわざわざ。」
「気にすんな、皆お前と飲みたいだけだから。」
亨の言い草に課内は更に和やかな雰囲気に包まれた。
相手が誰であろうと、全てを丸くおさめようとする。その能力に長けているからこそ、亨は課長に昇進出来たんだよね…。
渋谷がそんな亨にニコリと笑みを向けた。
「…真理さんも来ます?」
あいつ…また余計な事を。折角亨が作った雰囲気をあっさり崩して。
案の定、課内の空気は真逆と言っていい程、気まずい雰囲気に一変してしまった。
「ど、どうでしょう…聞いてみます…けど。」
ミヨちゃんが完全に困って、笑顔を引きつらせている。
そりゃそうだよね。彼女の頭の中に私を呼ぶと言う筋書きは無かったはずだから。
「渋谷、気を使わなくて平気だぞ?
あいつはそう言うの好きじゃないんだ。仕事以外で社の人間と絡むとか。」
亨が空気を溶かそうと、にこやかに話しても渋谷は引き下がらない。
「でも、せっかくの歓迎会だし俺は居てほしいかも。」
…いくら三課に来たばかりで内情がわからないとはいえ、この空気位は感じ取れているはずなのに。
タブレットを立ち上げながら、知らんぷりをしている渋谷に思わずため息がこぼれた。
「…戻りました。」
「あ…真理さん…。」
ミヨちゃんが気まずそうに少し亨の後ろに隠れる。幹事を買って出てしまった以上、そして渋谷が私を指名している以上、声をかけなければいけないと恐れたんだと思う。
泣きそうになっているミヨちゃんに心の中で同情しながら知らんぷりをして席に戻った。
「真理さん、今日、俺の歓迎会だって。来るでしょ?」
余裕の笑みを浮かべる渋谷を横目で睨む。
「今日は無理。顧客との打ち合わせが夜にあるから。高橋、あなたもだよ。」
「えー!聞いてないっすよ!」
「今さっき連絡が来たの。
どんな事があっても、お客様が優先。
そう言う不平不満を言う暇があったら、この前の資料、もう少し改善して。」
渋谷の言動でいつも通りにやり過ごせない苛立ちが言い方に出てしまっている。それはわかっているんだけど、どうしても抑えられなかった。
より冷えた課内の空気に渋谷のあっけらかんとした声が入り込む。
「ねえ、真理さん。それってもしかして俺が昨日資料修正した橘さんとの打ち合わせ?」
「そう…だけど。」
「だったら、俺、昨日の内に資料を読み込んだし、一緒に行きますよ。高橋、お前は飲みに行ったら?今日は真田課長の昇進祝いにして、日を改めて高橋の仕切りで俺の歓迎会してよ。」
「あ、あのね…渋谷。これは高橋の仕事…。」
「真田課長から聞きましたけど、3課のやり方として、相手に威圧感を与えない為に最終打ち合わせ以外はクライアント一人に対して、リーダーのみ、もしくは多くてもプラス一人だそうじゃないですか。
リーダーの真理さんは行くとして…俺も先方に挨拶が出来るし、何より、仕事はなるべく共有していた方が、いざって時に楽だよ?」
渋谷の理論に言い返せない私を見て、課内のあちこちで『渋谷すげえ』と感嘆の囁きが起きる。
「確かに、それぞれの仕事をもう少し多く共有し合った方がいいか…俺、見直すわ。」
亨も感心した様にパソコンに目を落とし始めた。