Monkey-puzzle
スッと伸びた靴先と高さがあっても細いヒール部分。

あの人…こんな不安定な靴履いて仕事してんだ。

いわば、身を固める武器って所なのかな。
それを脱ぎ捨ててまで、ダッシュしてった…。
名前も素性もわからない、ただぶっ倒れそうになってる俺なんかの為に。

コンタクト落とした方の目を少し細めたら微かに見えた靴のサイズ。


「23.5のE…」


これ、あのクソ女が騒いでたメーカーじゃん。


『欲しいけど~私には似合わないかな~…ねえ、渋谷~どう思う?』


甘ったるい声で絡み付いて来るあいつの事思い出したら、また吐き気がこみ上げて来る。


「ぐっゴホっ!」
「ごめん!お待たせ!大丈夫?」
「すみません…」
「気にしないで?この世の中、持ちつ持たれつ。困った時はお互い様だよ?」


かがんでいた顔を上げた先。どかす事すらおぼつかない前髪の隙間から、微かに見えた息を切らしながら浮かべた微笑み。
雪雲の合間からさす日の光がそこに重なって、寒いはずの身体が温かさを増した気がした。


「でもさ、こんなに体調が悪いなら会社、休めば良いのに。」


その人はペットボトルを俺に渡すと隣に腰を下ろして背中をさすり始める。
掌が背中を行き来する感触に、不思議と気持ちが落ち着いて来た。


「…先輩から許可が出なかったので。」
「えー?体調悪い時に仕事したってはかどらないのにね。」
「…俺、新人だし。」
「新人だから体調が悪くても出勤しなさい?何それ!
そんな会社、こっちから願い下げしてやんな!」


…簡単に言わないでよ。
これでもさ、俺だって一生懸命やってんだから。

まあ、一生懸命やって…結果がこれですけど?
別にこの先自分がどうしたいかなんて無いし。
どうなってもいいんだけどさ…。
身震いしながら俯いて口を閉ざす俺が、彼女の目にどう映ったかは分からないけれど、会話が途切れても、背中を擦るリズムはずっと変わらなくて。それがまた嬉しかった。

公園の外からは車のクラクションや電車の音、雑踏を彷彿させる音が聞こえて来る。けれど、公園内は人の気配もなく時折鳥の鳴く声が響く程静か。

息を吐き出した後、口に含んだ水は、心地よく喉元を通って流れて行く。

さする手を止めて「とにかくね?」と一度立ち上がったその人は、俺の前に両膝をついて座ると、かけてくれているコートのボタンを留め始めた。


「酷な事を言うようだけど、会社でのあなたの代わりはきくのよ。それは私もそう。私の代わりなんていくらでも居る。“会社では”ね。
だけど、あなた自身は、世界でたった一人なんだよ?」


自分が巻いてたストールも俺にふわりと巻き付ける。


「あなたは誰でもない、あなたなんだから。
あなた自身が大切にしてあげなきゃダメだよ?」


その声を、言葉を…“耳で聞く”と言うよりは全身で受けると言う感覚だったと思うけど、定かじゃない。

とにかく、通ってて、凛としたその声が、弱り果てた身体の奥に染み込んだのは確か。
また少し、身体がラクになった気がした。

その人は両膝に付いた砂を払いながら、再び立ち上がり、目の前で「んー!」と声を出しながら伸びをする。


「どうする?病院に行く?それとも会社?」
「…とりあえず、一回家に戻ります。」
「うん、それがいいね!」


ぼやけて実際は見えないけれど、快活な切り返しに、笑顔を見た気がして、気持ちが更に楽になった。


「…コンタクト外していっすか。落としたみたいで…片方だけだと、余計に気持ち悪くなるんで。持ってくるの忘れたけど、ソフトの使い捨てだから家に帰れば新しいのを入れられるし。」

「それじゃあ、家に帰るまでが不便じゃない。
あ、そうだ、このメガネ使って!もし度が合えば、の話だけど。私は今コンタクト入れてるからさ。」


断る間もなく、黒縁フレームの眼鏡が近づいて来てかけられた。


「…どう?大丈夫そう?」


ハッキリ見えた、その人の表情。

小首を傾げて俺を覗き込む顔は、微笑みながらも真剣で真っすぐ俺に視線を送る。肩より少し長めの髪が、射す光に照らされて艶めいていた。
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