Monkey-puzzle
◇
田所さんが先頭に立ち、総務部のドアをノックして、「度々失礼致します」と丁寧に頭を下げる。入って行った先の総務の部屋は、華やかな表側とは違い、カウンターこそあれ、机が並ぶ、ごくありきたりな会社の風景だった。
そのカウンター先でニコリともせず、私達を一瞥してまたパソコンに目を戻す、分厚いレンズをかけた女性。
「…何度来られても、データ上は、貸し出しは長机とパイプ椅子です。」
淡々とそれだけを述べて、カチャカチャとキーボードをたたき続けている。
この人が、さっき三沢チーフさんが言ってた『ガチガチメガネ』だと言う事は一目瞭然だった。
「申請書類はどうした?それを見れば一目瞭然じゃないか」
「私共が間違えて登録したとでも?書類はシュレッダーにかけました。紙はどんなものでも、用心の為にすぐにかけるんです。」
「ワークショップが終わるまではとっておくべきじゃないのか?」
「他の部署の方に口出しされるものではございません。私達は私達のやり方がありますので。」
どう考えても、大分役職が上の相澤さんと対等に渡り合ってる…。しかも、緊急事態で事情を田所さんから聞いているはずなのに。
憤慨してもいいのではと言う場面にも関わらず、呆れた様に溜め息を吐き出す相澤さん。
…もしかしたら日常茶飯事なのかな、この人とのこういうやり取り。
「もういい。田所」
「は、はい。あの…やはり、パイプ椅子と長机では用が足りませんので、輸入家具のコーナーから数個お借りしたいと思っております。
既に、三沢チーフとも話をしていましてあちらの了承は得られているので許可を頂けませんでしょうか」
「そうですか、では、申請書類を新たに書いて、提出を。三日程で決済がおりて来ると思います」
…ロボットみたいだな、この人。
人の話も聞いてないし、状況がどうなのかも全くわかってない。
だけど、総務の許可が貰えない限り事を動かす事は出来ない。
どうしたもんかと見守る私達を背に、相澤さんは相変わらず冷静に話しかける。
「もういい。部長を呼びなさい」
「部長はただいま席を外しております」
「…そうか、わかった。書類を貸して。」
ガチガチメガネから書類を受け取り田所さんに言われた事を自ら書き込むと、最後に課長印を押してスマホを取り出した。
「…あ、総務部長、お疲れさまです。相澤です。
この前はどうも。
はい、はい。ええ、実はですね、ちょっと今困った事になっておりまして…。」
丁寧に話を繰り返す相澤さんが、こっちに向かってオッケーサインを出した。
「ええ、そうなんです。
え?真田さんですか?いらっしゃいますよ?」
微笑みながら、スマホを亨に差し出す。
「総務部長とお知り合い…というか、彼のお気に入りみたいですね、あなた。」
ウィンクしたら、亨が面白そうに笑いながらスマホを受け取った。
「たまたま、酒の趣味が合って、気にかけて頂いているだけです。」
「もしもし」と話し始めた亨はちらりと私達の方を見て微笑む。
そうか…あのタイミングでリーダーをサラリと交代出来たのは、元々東栄デパートに人脈があったからなんだ。いざという時、自分が切り札になれる、そう考えた。
「いやあ…あの時は本当に貴重なお酒を頂きまして…」
にこやかに話し続けている亨を見ていられなくて、密かに視線を外して俯いた。
…いつだって、亨はこうやって物事を円滑に進める為に先回りをして人脈を作ってくれていた。社外はもちろん、社内でも。
なのに私のせいで…。
不意に隣に人が立って身体を寄せられた。我に返って目線を上げた先で、渋谷がいつもと変わらぬ余裕の笑みを見せる。
「俺、一足先に戻って高橋のフォローに入るから。」
密かに一度左手がギュッと握られた。
「うん…ありがとう、渋谷。」
それに少しだけど笑顔を返す。
彼が出て行った後、渋谷の温もりが残る掌を少し見つめた。
都合の良い解釈なのかもしれないけれど、『大丈夫』と渋谷が言ってくれた気がして沈みそうになっていた気持ちを引き上げてくれたのは間違いない。
渋谷は本当によく、私を見ている…。
もう、これで何度目だろう。
こうして、彼の存在に助けられていると感じたのは。
田所さんが先頭に立ち、総務部のドアをノックして、「度々失礼致します」と丁寧に頭を下げる。入って行った先の総務の部屋は、華やかな表側とは違い、カウンターこそあれ、机が並ぶ、ごくありきたりな会社の風景だった。
そのカウンター先でニコリともせず、私達を一瞥してまたパソコンに目を戻す、分厚いレンズをかけた女性。
「…何度来られても、データ上は、貸し出しは長机とパイプ椅子です。」
淡々とそれだけを述べて、カチャカチャとキーボードをたたき続けている。
この人が、さっき三沢チーフさんが言ってた『ガチガチメガネ』だと言う事は一目瞭然だった。
「申請書類はどうした?それを見れば一目瞭然じゃないか」
「私共が間違えて登録したとでも?書類はシュレッダーにかけました。紙はどんなものでも、用心の為にすぐにかけるんです。」
「ワークショップが終わるまではとっておくべきじゃないのか?」
「他の部署の方に口出しされるものではございません。私達は私達のやり方がありますので。」
どう考えても、大分役職が上の相澤さんと対等に渡り合ってる…。しかも、緊急事態で事情を田所さんから聞いているはずなのに。
憤慨してもいいのではと言う場面にも関わらず、呆れた様に溜め息を吐き出す相澤さん。
…もしかしたら日常茶飯事なのかな、この人とのこういうやり取り。
「もういい。田所」
「は、はい。あの…やはり、パイプ椅子と長机では用が足りませんので、輸入家具のコーナーから数個お借りしたいと思っております。
既に、三沢チーフとも話をしていましてあちらの了承は得られているので許可を頂けませんでしょうか」
「そうですか、では、申請書類を新たに書いて、提出を。三日程で決済がおりて来ると思います」
…ロボットみたいだな、この人。
人の話も聞いてないし、状況がどうなのかも全くわかってない。
だけど、総務の許可が貰えない限り事を動かす事は出来ない。
どうしたもんかと見守る私達を背に、相澤さんは相変わらず冷静に話しかける。
「もういい。部長を呼びなさい」
「部長はただいま席を外しております」
「…そうか、わかった。書類を貸して。」
ガチガチメガネから書類を受け取り田所さんに言われた事を自ら書き込むと、最後に課長印を押してスマホを取り出した。
「…あ、総務部長、お疲れさまです。相澤です。
この前はどうも。
はい、はい。ええ、実はですね、ちょっと今困った事になっておりまして…。」
丁寧に話を繰り返す相澤さんが、こっちに向かってオッケーサインを出した。
「ええ、そうなんです。
え?真田さんですか?いらっしゃいますよ?」
微笑みながら、スマホを亨に差し出す。
「総務部長とお知り合い…というか、彼のお気に入りみたいですね、あなた。」
ウィンクしたら、亨が面白そうに笑いながらスマホを受け取った。
「たまたま、酒の趣味が合って、気にかけて頂いているだけです。」
「もしもし」と話し始めた亨はちらりと私達の方を見て微笑む。
そうか…あのタイミングでリーダーをサラリと交代出来たのは、元々東栄デパートに人脈があったからなんだ。いざという時、自分が切り札になれる、そう考えた。
「いやあ…あの時は本当に貴重なお酒を頂きまして…」
にこやかに話し続けている亨を見ていられなくて、密かに視線を外して俯いた。
…いつだって、亨はこうやって物事を円滑に進める為に先回りをして人脈を作ってくれていた。社外はもちろん、社内でも。
なのに私のせいで…。
不意に隣に人が立って身体を寄せられた。我に返って目線を上げた先で、渋谷がいつもと変わらぬ余裕の笑みを見せる。
「俺、一足先に戻って高橋のフォローに入るから。」
密かに一度左手がギュッと握られた。
「うん…ありがとう、渋谷。」
それに少しだけど笑顔を返す。
彼が出て行った後、渋谷の温もりが残る掌を少し見つめた。
都合の良い解釈なのかもしれないけれど、『大丈夫』と渋谷が言ってくれた気がして沈みそうになっていた気持ちを引き上げてくれたのは間違いない。
渋谷は本当によく、私を見ている…。
もう、これで何度目だろう。
こうして、彼の存在に助けられていると感じたのは。