Monkey-puzzle
黒縁眼鏡と調香師





打ち合わせは、橘さんの行きつけのイタリアンレストランで行う事になり、渋谷と二人、待ち合わせ時間より少し前に到着した。

店内は薄暗く、各テーブルにキャンドルが灯っている。その揺らめく炎がまた、ムードを作り出している。

…さすがは橘さんの行きつけ。素敵なお店だな。


辺りを見回しながら席に着いた私を渋谷が覗き込んだ。


「…怒ってんの?」


そう聞かれても仕方がない…か。

あのやり取り以降、渋谷とろくに目も合わせず、仕事の話し以外、話しかけられても気の無い返事しかしなかったから。

確かに、渋谷があの場を上手く収めた事に少し感謝をしている。あの場は渋谷のおさめ方が一番、全ての人にとって望ましく、角が立たなかったのではないかと思うから。

けれど、私はその感謝を素直に出せるほど性格が真っすぐではない。寧ろ後輩に助けられた事に気まずさを感じていて、目が合わせられないでいるわけで。
渋谷にしてみたら、いわれの無い事でぞんざいな扱いを受けている事になる。


目の前の水の入ったグラスに手を伸ばした。


…自分の一方的な気まずさでこんな風になってしまってはいけない、よね。ちゃんと話しをしなければ。


「…怒ってはいないけど、残念だと思ってはいるよ。高橋が今日来れなくて。
この仕事は高橋に1から10まできちんと仕込みたかったから。」
「高橋に?何で?」


切り返されて、ようやく目を合わせた渋谷は思っていたよりも真剣な表情で、少しだけ圧を感じた。



「何でって…高橋は、大雑把な所はあるけど、いざと言う時の立ち回りをすごく上手に修正出来るの。今回みたいなワークショップは凄く向いてる。だから、次回指名があった時は高橋がリーダーで動けるといいなって。」
「随分、高橋を買ってんだね。」
「そう言うわけじゃないよ。今回の仕事はたまたま高橋に向いていると思っただけで。他の課はわからないけど、少なくともうちの課の人間は、皆それぞれ良い所があって成長出来る能力を沢山秘めてるなって思うよ?」
「ふーん…。それ、本人達に言ってやればいいのに。」
「それは無理。」


私がそんな事言って良いキャラじゃない。
何か企んでいると、絶対に皆警戒を強めて気持悪がるに決まってるから。

それに何より、本人を目の前にしてそんな事言うなんて恥ずかしすぎるし、伝える為にどう言葉を選んで良いか分からない。


深く息を吐き出して水を再び口に含んだ。


「…もしかしてさ、真理さんて究極の口下手?」
「ぐっ!」


顔が一気に熱を持つ。咽せる私を見て渋谷が口元を隠して笑い始めた。


「そっか、へえ…なるほどね。」
「ほ、ほっといてよ!どうでもいいでしょ、そんなの!」
「あーほら。大声出さない。迷惑だよ、周りに」


つい出してしまった大声をたしなめられて、余計に顔が熱くなる。集まってしまった視線に中腰ですみませんと会釈をして再び椅子に腰を下ろした。


「…何よ。」
「や?何か、嬉しいなーって思っただけ。」


私に微笑みを向けている渋谷の眼鏡が、ロウソクの炎の揺らめきを映し出していて、その奥の表情が見えない。


「…綺麗なピアスしてるね。」


不意に私の耳たぶに渋谷の指先が触れる。


「あ、あのさ…」
「遅くなって申し訳ありません」


目の前に出来た人影に、我に返った。


…いけない。

こんな所で渋谷に惑わされている場合じゃない。

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