Monkey-puzzle
「はい、真理ちゃんお待たせ!」

みっちゃんの事を考えていたら目の前に置かれたカクテル。
ダウンライトに照らされて虹色の光が宝石の様に輝いて見えて、それに微笑んだ。


『木元さん、頑張ってるから』

…嬉しかったな、あの時。


「橘さん、ありがとうございます。私、このカクテル大好きです。」


あの日、橘さんと二人で飲みに行ってしまった私の判断は間違いだったのかもしれないけれど。
それでも、橘さんが私の仕事ぶりを評価してくれていたのは嬉しかったし、それが私の支えになっていたのは間違いないから。


「よっこいしょ。」

視線を橘さんに向けると、渋谷がまた身体を前のめりにしてそれを遮った。


「恭介…今、良い所だったんだけど。」

「大ちゃん、俺、シェリートニックね。」

「あれー?一杯目ビールじゃないの?」

「おい、無視すんな、恭介。」


橘さんが渋谷の頭を大きな掌でぐしゃりとすると、渋谷がそれを受け入れたまま、またハハッと楽しそうに笑う。


仲良さげにじゃれ合う二人と大紀さんの笑顔を前にして飲んだカクテルは、以前にも増して美味しく感じた。



「そういやさ、もし真田さんが宣言通り辞表を出したら、課長の席はどうなるの?やっぱ木元さん?」

橘さんがグラスを傾けると、綺麗に形作られた氷がカランと心地の良い音を奏でる。

「だろうね、順番からすると。だけど、出すかな、あの人。」

「…出すよ、亨は。」

シェリートニックの炭酸に少し顔を顰めた渋谷に微笑んでから、虹色のグラスに目を落とした。



亨は昔から真面目だった、そう言う所は。
自分が発言した事には責任を持つ。だからこそ、慎重に一歩引いた所に自分の立ち位置をいつも置いていた。
そして…周囲の期待や話を全部受け止めて、表で笑って、沢山心に溜めていたんだと思う。
私には「全部俺に任せとけ」としか言わなかったけど。

…見せられなかったんだろうな、私に弱い所を。

私が…そうさせてた。

亨とは、同僚として距離を置いてお互い別々に仕事をすべきだったのかもしれない。
いつの間にか協力じゃなくてお互い悪い所を穴埋めしようと依存しあって、歯車がおかしくなってしまったんだ。

「じゃあさ、やっぱり木元さんが課長ってこと?」

思考が違う場所に行ったのを、橘さんの声が引き戻した。


「まあ、順番的にはそうなるよね。」

渋谷も橘さんと共に、私に顔を向ける。


そんな二人に苦笑いで首を振った。

「私はどう考えたって適任じゃないでしょ。というか、やる気もないし。」


キッパリと断言した私が二人にどう映ったのかは分からない。
けれど、きっと、気を遣っていたんだと思う。

そこからバーを出て解散するまで、一切その話には戻らなかった。


「本当の所はどうなの?」

その話題に戻ったのは、私のマンションに着いてから。

送ってくれた渋谷が一緒にエレベーターに乗り込み背中を壁に預けて、サラリとそう切り出して来た。


「…え?」
「や、真田さんが辞表出した後の話。課長職を断るのはわかる気がするけど、断った後で、真理さんが三課に居座るとは思えないからさ。」

やっぱり…わかってたんだ。
恐らく、橘さんも。

それでいて、詮索しなかった。
渋谷も…そんな橘さんの考えを汲んで、あの場では聞かなかった。

二人とも、大人な対応だな。


「…私、コンペが終わったら三課を出ようと思って。異動願い出してるんだ」

「そう…なんだ。」

「だいぶ皆が成長して来て、世代交代の時期でもあると思うし。私は私でやりたい事があるの。今回のコンペは自分の実力がどの位ついたかを試す良い機会だなって。」

「それで一人で出す事にしたの?」

「うん、まあ…ほら。私と組みたいなんて思う人、居ないしね、元々。」


エレベーターが目的の階に着いてチンと言う音を鳴らした。

渋谷が自嘲気味に笑う私を一瞥してから、繋いでる左手に力を込めて壁から背中を浮かせる。

玄関の前まで来ると私を扉側に立たせて、手を繋いだまま真正面に立った。


「…真理さんと組みたいと思ってた人、俺は知ってるよ?」

黒縁眼鏡のフレームが通路のライトに照らされ、艶を持つ。

そんな奇特な人がいるの?と表情で訴えた私の反応が望み通りだったんだと思う。レンズの奥の目が、機嫌良さげに弧を描き、目尻に皺が出来た。

「言っとくけど、俺じゃないからね?あー…まあ、組めるなら組みたいけど。」

繋いでいる手が離れたと同時に、腰がその腕にくるりと覆われて、抱き寄せられる。
渋谷の顔が近づいて、頬に眼鏡のフレームがぶつかった。


「俺は真理さん自身が欲しいから。」

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