Monkey-puzzle
「し、渋谷…」
かかる吐息がくすぐったくて身体が強ばる。胸元を反射的に押したら余計に抱き寄せられた。
「本当にさ、仕事云々なんてどうでもいいんだよ。証明しろって言うなら今すぐできるけど。」
顎を持たれて正面に向けさせられた視線。黒縁眼鏡の奥は、変わらず潤いが多い薄ブラウンの瞳なのに、どこか妖艶さが増している気がして、思わずコクリと喉を鳴らした。
「げ、玄関の前だから…。」
「じゃあ、部屋に入れてよ。」
近づいて来る唇に思わずキュッと目を瞑ったら、気配が直前でピタリと止まる。
「…真理さん、結婚しよっか。」
………今、何と?
全く予期していなかった言葉を、あまりにもサラリと言われたからだと思うけど。一瞬聞き間違えだと思って顔を上げて、ぱちりと目を見開いた。
そんな私に、渋谷はいつもの余裕の笑みを浮かべている。
「真理さん、すぐ逃げようとするからさ。
捕まえとくには一番でしょ?結婚。」
…聞き間違いでは無かった。
いや、でも、それはそれで問題だ。
久しぶりに思った。
“この軽い思考、ついていけない”
「そ、そんな簡単に言わないでよ。け、結婚だよ?
もっとお互いの事ちゃんと知ってさ…。」
「俺に関して言えば、真理さんが知っている俺が全てです。嘘偽りはない。」
そうなの?って、いやいや、そう言う事じゃなくて。
被せ気味に切り返して来る渋谷に一瞬説得されそうになった自分を慌てて制する。
私…どれだけ渋谷に弱いのよ。
「いや、だからね…?」
とにかく、落ち着こうよと逃げ腰になった所を抱き直されてまた離れられなくなった。
「それにほら、俺、真理さんの事も結構知ってるよ?
真面目で目の前の事に一生懸命過ぎて人の事振り回すとか、変に不器用で面倒くさいとか、ピンヒールでコケやすいとか…おっちゃんの日本酒熱燗が好きとか?」
…何かけなされてない?
眉間に皺を寄せて見せた私を渋谷は嬉しそうに笑ってから抱きよせ、首筋に顔を埋める。
「…俺は真理さんがいい。どうしても。簡単なんかじゃないよ。やっとここまで辿り着いたんだから。」
呟く様に放たれた言葉。
その声色に、今までとは違う重みを感じた。
“辿り着いた”…?
「あ、あの…渋谷…」
「まあとにかくね?」
疑問を投げかけようとした私を阻む様に、渋谷がその身を起こす。
「結婚の返事はコンペが終わるまで待ってあげる。一応。」
「そ、そんな事言われたら、コンペに集中出来ない…。」
「うん、それが作戦だもん。」
「…。」
「ザマミロ。俺に『離れろ』なんて言った罰。」
イタズラを成功させた子供みたいに無邪気に微笑む渋谷があまりにもいつも通りだから、その言葉の意味は聞けなかった。
…けれど。
「渋谷って意外と根に持つ…」
「そうだよ?俺は恨みがましいんです。」
「じゃあ、またね」とその腕の力が緩んで身体が少し離れた瞬間に少し感じた寒さ。
それが嫌で、咄嗟にその腕を掴んで引き寄せた。
ああ…私、やっぱり渋谷にとことん弱い。
「あ、あの…も、もうちょっとだけ…その…。」
「…玄関前だからダメつったの、誰だっけ。」
「ちょ、ちょっとだけだから!」
してしまった事に恥ずかしさがこみ上げても後戻りは出来なくて力一杯渋谷を抱き寄せて顔を埋めたら、「あーもう…」と溜め息が降って来た。
「もう一個あったわ、知ってる事。我が儘で自分本位。」
言葉とは裏腹にちゃんともう一度抱き締めてくれる腕。感じる体温とリズムの良い呼吸音。
本当に渋谷の腕の中は心地いい…。
いくら理屈と理性を総動員させた所で、渋谷の軽すぎるプロポーズの答えはもう決まっているんだよ、私の中で。
「真理さんがコンペに集中出来なくて俺に泣きついて来る事を祈ってます。」
「嘘つき。」
「や、本気だよ?あー楽しみ!」
「…渋谷なんて嫌い。」
「嫌いなら離れなよ。」
「ヤダ。」
「じゃあ…好き?」
「ん…。」
おでこをつけて擦り合う鼻先。
互いの吐息が少しだけ渋谷のメガネのレンズを曇らせた。
…三課で最後の大仕事“社内コンペ”。頑張ろう、全力で。
かかる吐息がくすぐったくて身体が強ばる。胸元を反射的に押したら余計に抱き寄せられた。
「本当にさ、仕事云々なんてどうでもいいんだよ。証明しろって言うなら今すぐできるけど。」
顎を持たれて正面に向けさせられた視線。黒縁眼鏡の奥は、変わらず潤いが多い薄ブラウンの瞳なのに、どこか妖艶さが増している気がして、思わずコクリと喉を鳴らした。
「げ、玄関の前だから…。」
「じゃあ、部屋に入れてよ。」
近づいて来る唇に思わずキュッと目を瞑ったら、気配が直前でピタリと止まる。
「…真理さん、結婚しよっか。」
………今、何と?
全く予期していなかった言葉を、あまりにもサラリと言われたからだと思うけど。一瞬聞き間違えだと思って顔を上げて、ぱちりと目を見開いた。
そんな私に、渋谷はいつもの余裕の笑みを浮かべている。
「真理さん、すぐ逃げようとするからさ。
捕まえとくには一番でしょ?結婚。」
…聞き間違いでは無かった。
いや、でも、それはそれで問題だ。
久しぶりに思った。
“この軽い思考、ついていけない”
「そ、そんな簡単に言わないでよ。け、結婚だよ?
もっとお互いの事ちゃんと知ってさ…。」
「俺に関して言えば、真理さんが知っている俺が全てです。嘘偽りはない。」
そうなの?って、いやいや、そう言う事じゃなくて。
被せ気味に切り返して来る渋谷に一瞬説得されそうになった自分を慌てて制する。
私…どれだけ渋谷に弱いのよ。
「いや、だからね…?」
とにかく、落ち着こうよと逃げ腰になった所を抱き直されてまた離れられなくなった。
「それにほら、俺、真理さんの事も結構知ってるよ?
真面目で目の前の事に一生懸命過ぎて人の事振り回すとか、変に不器用で面倒くさいとか、ピンヒールでコケやすいとか…おっちゃんの日本酒熱燗が好きとか?」
…何かけなされてない?
眉間に皺を寄せて見せた私を渋谷は嬉しそうに笑ってから抱きよせ、首筋に顔を埋める。
「…俺は真理さんがいい。どうしても。簡単なんかじゃないよ。やっとここまで辿り着いたんだから。」
呟く様に放たれた言葉。
その声色に、今までとは違う重みを感じた。
“辿り着いた”…?
「あ、あの…渋谷…」
「まあとにかくね?」
疑問を投げかけようとした私を阻む様に、渋谷がその身を起こす。
「結婚の返事はコンペが終わるまで待ってあげる。一応。」
「そ、そんな事言われたら、コンペに集中出来ない…。」
「うん、それが作戦だもん。」
「…。」
「ザマミロ。俺に『離れろ』なんて言った罰。」
イタズラを成功させた子供みたいに無邪気に微笑む渋谷があまりにもいつも通りだから、その言葉の意味は聞けなかった。
…けれど。
「渋谷って意外と根に持つ…」
「そうだよ?俺は恨みがましいんです。」
「じゃあ、またね」とその腕の力が緩んで身体が少し離れた瞬間に少し感じた寒さ。
それが嫌で、咄嗟にその腕を掴んで引き寄せた。
ああ…私、やっぱり渋谷にとことん弱い。
「あ、あの…も、もうちょっとだけ…その…。」
「…玄関前だからダメつったの、誰だっけ。」
「ちょ、ちょっとだけだから!」
してしまった事に恥ずかしさがこみ上げても後戻りは出来なくて力一杯渋谷を抱き寄せて顔を埋めたら、「あーもう…」と溜め息が降って来た。
「もう一個あったわ、知ってる事。我が儘で自分本位。」
言葉とは裏腹にちゃんともう一度抱き締めてくれる腕。感じる体温とリズムの良い呼吸音。
本当に渋谷の腕の中は心地いい…。
いくら理屈と理性を総動員させた所で、渋谷の軽すぎるプロポーズの答えはもう決まっているんだよ、私の中で。
「真理さんがコンペに集中出来なくて俺に泣きついて来る事を祈ってます。」
「嘘つき。」
「や、本気だよ?あー楽しみ!」
「…渋谷なんて嫌い。」
「嫌いなら離れなよ。」
「ヤダ。」
「じゃあ…好き?」
「ん…。」
おでこをつけて擦り合う鼻先。
互いの吐息が少しだけ渋谷のメガネのレンズを曇らせた。
…三課で最後の大仕事“社内コンペ”。頑張ろう、全力で。