Monkey-puzzle
フワリとした短めの髪にグレーのジャストフィットのスーツを来て水色地に小紋柄のネクタイを合わせた橘さんが、テーブルを挟んで向こう側に立つ。
「私達が早く着いていただけで時間通りです。今日は、高橋が来れなくなりまして、代わりに新しくチームに加わった、渋谷を連れて来ました。」
私の言葉と同時かそれより早いタイミングで橘さんの凛々とした大きな目が見開いた。
「恭介？！久々じゃん！」
「いつ以来だっけ？」
「あ～…大学の同窓会かな。」
「んだよ、気ぃ使えって。恭介ならさ！
高橋君が居ないなら、木元さんと二人で食事出来たのに。」
橘さんが楽しげに渋谷に話しかけているけど…知り合い？
事態に着いて行けずにいる私の頭にポンと横から掌が乗った。
「ほら、やっぱ俺がついて来て正解じゃん。
智ちゃん相手じゃ、高橋じゃ太刀打ちできないっつーの。」
は、はい？！
何言ってんの？！こいつ！
「…何？そう言う事？彼氏なの？」
「ち、違います！断じて！」
慌てて渋谷の掌を振り払い「失礼しました」と一礼すると、橘さんが穏やかに笑いながら座る様に促してくれた。
「…俺と恭介は大学のサークルの先輩後輩なんですよ。とは言え、仲が良過ぎて一緒に居る時間が長かったから、どっちが先輩だっけ？って感じだけど。」
「では、橘さんとしても渋谷が入れば色々やりやすくなりますね。」
相槌を打った私に少し苦笑いの橘さん。
…何だろう？
「とにかく恭介、よろしく。」
「うん。智ちゃんのイベント全力で頑張らせていただきます。」
二人で仲良さげに挨拶をして終始和やかに行なう事が出来た、企画修正の話。
渋谷に関しては、私の話に合わせて、橘さんに待つ隙を与えない程、資料や画像、映像をタブレットに映し出して、時にはフォローの話を差し込んで来てくれて。素晴らしい仕事ぶり。
なるほど、確かに『あの渋谷』と皆に言われるだけの事はあると思った。
亨の後釜としては、プラスアルファも良いところだって、正直、亨が昇進してくれて良かったとさえ思えたし。
だけど…。
深い溜め息の中、トイレに席を立った後すれ違いでやって来た渋谷を捕まえて、廊下の隅に引っ張った。
「あんたさ…いい加減にしなさいよ。」
「何がですか？全く邪魔もしてないし、寧ろ、華麗なほど完璧にサポートしてたって褒めて欲しい位なんですけど。」
いや、そこじゃないから。
睨む私にも動じず、余裕の笑みをみせる渋谷に余計に気持が苛立つ。
「あのね、失礼でしょ…クライアントを見ないと。」
確かに、私の言動や様子で挟む話や資料を考えようと思っていたのかもしれないけれど、それにしたって、ずっと私の横顔を見ている必要は無い。
「や、そこはさ…自由にさせてよ。」
「顧客の方に顔を向けるのなんて、常識でしょ！」
俯き加減に鼻をすするようにして笑う渋谷が気に食わなくて、少し冷静さに欠けたのだと思う。反射的に渋谷の両頬を掌でおおって目線を無理矢理自分に向けさせた。
……のは良かったんだけど。
当の渋谷は、特に動揺もなく、寧ろスッと真顔になる。
「…。」
「な、何…？っ！ちょ、ちょっと！」
次の瞬間、腰を強く抱かれて引き寄せられた。
「昼間に忠告したでしょ？こういう所に連れ込んで、こんな事されたらね、誘惑されてるとしか思えないんですよ。」
「ばっ！何言ってんの…って顔を近づけるな！顔を！」
渋谷の幼さの残るその顔が近づいて来ておでこ同士が触れる。黒縁眼鏡のフレームが頬骨に当たってカチャリと微かに音を立てた。
「ねえ…この後、どこ行く？」
少し掠れた声が鼻に響いてくすぐったい。
「連れ行ってくれるんでしょ？ご褒美。」
「わ、私…あんたを連れて行けるほど、おいしい店も小洒落れた店も知らないから…」
胸元を押そうと抵抗する私を渋谷は楽しそうにクスクスと笑いながら鼻先を触れさせる。
「いいよ、どこだって。真理さんが連れて行ってくれるなら。」
勝手に体が熱を持つ。
勝手に鼓動が早くなる。
「め、眼鏡、当たって痛い。離れて。」
「ヤダ。」
「つ、連れてくから…。離れなさい。」
「そ？俺はこのままここでご褒美頂こうかなって思うんだけど。」
もっと、強気に拒まないと。
こいつはこういう奴なんだろうから。
互いの息が混ざり合う距離に思わずコクリと喉を鳴らした。
「い、いい加減に離れなさい！」
「イテっ！」
渋谷の脛を渾身の力で蹴り飛ばす。どうやら見事に的中したらしく、渋谷は身体を屈めて悶え出した。
ザマーミロ！
人の事をそうやってからかうからだよ！
心の中で思い切りあっかんべーをしてから、背中を向けている渋谷の前に回った。
少しズレている黒縁眼鏡の上から渋谷の形の良い二重の目が覗き、潤いに満ちている。眉間に皺を寄せた余裕の無いその表情が堪らなく嬉しかった。
「痛かった？」
「痛いに決まってるでしょう…」
攻守が逆転する事ってこんなにも気分が良いものだったっけと気持が弾む。
「あんまり、女をナメんなよ？」と笑いながらずれ落ちてる眼鏡をかけ直してあげた。
「渋谷。あなた、本当に凄いんだね。あなたが異動して来て皆が喜ぶだけの事はあるなって、昨日今日で凄く感心した。だから、飲みには連れていくよ。だけど…期待しないでね。私がいつも飲んでる所ってオヤジの溜り場みたいな所だから。」
本当はあそこに会社の人間を連れてくなんてあり得ない選択だったけど、臑を蹴ってからの反応がそれまでの余裕のある態度と真逆で、それがあまりにも滑稽で。
何となくこの人ならいいかもと思えた。
まあ…幻滅するならすればいいし。
どちらに転んでも、きっと渋谷は仕事に影響を及ぼす様な人間じゃない。
昨日今日と渋谷を見ていて、そこは信用出来る気がした。
・
・
「私達が早く着いていただけで時間通りです。今日は、高橋が来れなくなりまして、代わりに新しくチームに加わった、渋谷を連れて来ました。」
私の言葉と同時かそれより早いタイミングで橘さんの凛々とした大きな目が見開いた。
「恭介？！久々じゃん！」
「いつ以来だっけ？」
「あ～…大学の同窓会かな。」
「んだよ、気ぃ使えって。恭介ならさ！
高橋君が居ないなら、木元さんと二人で食事出来たのに。」
橘さんが楽しげに渋谷に話しかけているけど…知り合い？
事態に着いて行けずにいる私の頭にポンと横から掌が乗った。
「ほら、やっぱ俺がついて来て正解じゃん。
智ちゃん相手じゃ、高橋じゃ太刀打ちできないっつーの。」
は、はい？！
何言ってんの？！こいつ！
「…何？そう言う事？彼氏なの？」
「ち、違います！断じて！」
慌てて渋谷の掌を振り払い「失礼しました」と一礼すると、橘さんが穏やかに笑いながら座る様に促してくれた。
「…俺と恭介は大学のサークルの先輩後輩なんですよ。とは言え、仲が良過ぎて一緒に居る時間が長かったから、どっちが先輩だっけ？って感じだけど。」
「では、橘さんとしても渋谷が入れば色々やりやすくなりますね。」
相槌を打った私に少し苦笑いの橘さん。
…何だろう？
「とにかく恭介、よろしく。」
「うん。智ちゃんのイベント全力で頑張らせていただきます。」
二人で仲良さげに挨拶をして終始和やかに行なう事が出来た、企画修正の話。
渋谷に関しては、私の話に合わせて、橘さんに待つ隙を与えない程、資料や画像、映像をタブレットに映し出して、時にはフォローの話を差し込んで来てくれて。素晴らしい仕事ぶり。
なるほど、確かに『あの渋谷』と皆に言われるだけの事はあると思った。
亨の後釜としては、プラスアルファも良いところだって、正直、亨が昇進してくれて良かったとさえ思えたし。
だけど…。
深い溜め息の中、トイレに席を立った後すれ違いでやって来た渋谷を捕まえて、廊下の隅に引っ張った。
「あんたさ…いい加減にしなさいよ。」
「何がですか？全く邪魔もしてないし、寧ろ、華麗なほど完璧にサポートしてたって褒めて欲しい位なんですけど。」
いや、そこじゃないから。
睨む私にも動じず、余裕の笑みをみせる渋谷に余計に気持が苛立つ。
「あのね、失礼でしょ…クライアントを見ないと。」
確かに、私の言動や様子で挟む話や資料を考えようと思っていたのかもしれないけれど、それにしたって、ずっと私の横顔を見ている必要は無い。
「や、そこはさ…自由にさせてよ。」
「顧客の方に顔を向けるのなんて、常識でしょ！」
俯き加減に鼻をすするようにして笑う渋谷が気に食わなくて、少し冷静さに欠けたのだと思う。反射的に渋谷の両頬を掌でおおって目線を無理矢理自分に向けさせた。
……のは良かったんだけど。
当の渋谷は、特に動揺もなく、寧ろスッと真顔になる。
「…。」
「な、何…？っ！ちょ、ちょっと！」
次の瞬間、腰を強く抱かれて引き寄せられた。
「昼間に忠告したでしょ？こういう所に連れ込んで、こんな事されたらね、誘惑されてるとしか思えないんですよ。」
「ばっ！何言ってんの…って顔を近づけるな！顔を！」
渋谷の幼さの残るその顔が近づいて来ておでこ同士が触れる。黒縁眼鏡のフレームが頬骨に当たってカチャリと微かに音を立てた。
「ねえ…この後、どこ行く？」
少し掠れた声が鼻に響いてくすぐったい。
「連れ行ってくれるんでしょ？ご褒美。」
「わ、私…あんたを連れて行けるほど、おいしい店も小洒落れた店も知らないから…」
胸元を押そうと抵抗する私を渋谷は楽しそうにクスクスと笑いながら鼻先を触れさせる。
「いいよ、どこだって。真理さんが連れて行ってくれるなら。」
勝手に体が熱を持つ。
勝手に鼓動が早くなる。
「め、眼鏡、当たって痛い。離れて。」
「ヤダ。」
「つ、連れてくから…。離れなさい。」
「そ？俺はこのままここでご褒美頂こうかなって思うんだけど。」
もっと、強気に拒まないと。
こいつはこういう奴なんだろうから。
互いの息が混ざり合う距離に思わずコクリと喉を鳴らした。
「い、いい加減に離れなさい！」
「イテっ！」
渋谷の脛を渾身の力で蹴り飛ばす。どうやら見事に的中したらしく、渋谷は身体を屈めて悶え出した。
ザマーミロ！
人の事をそうやってからかうからだよ！
心の中で思い切りあっかんべーをしてから、背中を向けている渋谷の前に回った。
少しズレている黒縁眼鏡の上から渋谷の形の良い二重の目が覗き、潤いに満ちている。眉間に皺を寄せた余裕の無いその表情が堪らなく嬉しかった。
「痛かった？」
「痛いに決まってるでしょう…」
攻守が逆転する事ってこんなにも気分が良いものだったっけと気持が弾む。
「あんまり、女をナメんなよ？」と笑いながらずれ落ちてる眼鏡をかけ直してあげた。
「渋谷。あなた、本当に凄いんだね。あなたが異動して来て皆が喜ぶだけの事はあるなって、昨日今日で凄く感心した。だから、飲みには連れていくよ。だけど…期待しないでね。私がいつも飲んでる所ってオヤジの溜り場みたいな所だから。」
本当はあそこに会社の人間を連れてくなんてあり得ない選択だったけど、臑を蹴ってからの反応がそれまでの余裕のある態度と真逆で、それがあまりにも滑稽で。
何となくこの人ならいいかもと思えた。
まあ…幻滅するならすればいいし。
どちらに転んでも、きっと渋谷は仕事に影響を及ぼす様な人間じゃない。
昨日今日と渋谷を見ていて、そこは信用出来る気がした。
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