その恋に落ちるのは、彼の罠に掛かるということ
「ち、遅刻って、まだそんな時間じゃ……!」

「うるさい。俺の存在を拒否されてるみたいで良い気がしないんだよ」

抱きとめてくれていた彼の腕の力がふわりと緩み、目の前に彼の胸元があるという恥ずかしい状況を打破しようと、反射的に顔を上げる。
けれど、次に目の前に映ったのは、間近で見る課長の顔。
こんなに近くで顔を見たことは、もちろん初めてだ。
肌、綺麗……。大きな瞳から感じる目力も強い。
髪も、近くで見ると一層サラサラしている……。


「……幹本さん?」

名前を呼ばれてハッとする。
何、見惚れてるの私⁉︎


「い、いいから先に仕事行ってください!」

課長の身体から離れるのと同時に彼の背後に回り、グイグイと背中を押す。
観念した課長は玄関を開けて「わかったよ」と言いながらこちらを振り向き、不服そうな顔を見せる。


課長が出て行き、玄関の扉も完全に閉まると、部屋の中には急に静寂が訪れる。
思わず、ずりずりとその場にしゃがみ込む。
……先ほど、完璧に課長に見惚れてしまった自分が悔しい。しかも、ドキドキしてしまったことも否定出来ない。

だけど、そんなの深い意味なんてない。私はもう誰のことも好きになんてならない。

仮になったとしてもーー


『君が恋愛に興味がないのなら、俺も変に気を遣わずにいられる』


課長が私のことを好きになる可能性こそ、皆無なのだから。
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