惑溺オフィス~次期社長の独占欲が止まりません~
非日常に抱かれて


翌日の土曜日。私は久しぶりにハンドミキサーを握っていた。ボウルには薄力粉とバター、ピザ用チーズに砂糖と岩塩。これから塩チーズクッキーを作るところだ。

手の怪我が治ったらスイーツを。陽介さんは忘れているかもしれないけれど、ふたりの間でたったひとつだけ交わした小さな約束は、どうしても守りたかった。

完成したクッキーを片手に乗るくらいのボックスに詰め、陽介さんのマンションへ向かった。
念のために押したインターフォンに応答はない。陽介さんはまだ帰っていないようだ。

スペアキーを使って部屋に入ると、なんともいえない感情が押し寄せた。

たったの一日しか経っていないのに、ふたりでこの部屋で過ごしたことが遠い日のことのように感じる。懐かしさに胸が苦しい。もうここには戻れないと思うと、切なさが込み上げた。

唇を噛み締めて涙を堪え、バッグからクッキーを取り出す。スペアキーと一緒にテーブルに置き、手紙をしたためる。


『左手の怪我は完治しました。一ヶ月間どうもありがとうございました。とっても楽しかったです』


笑っている顔文字で明るく締めくくった。

後ろ髪を引かれる思いで扉を閉める。
階下の郵便物集配ポストに鍵を入れた。

これでもう本当に終わり。“陽介さん”から“副社長”に戻る日は、呆気なく訪れた。

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